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それは、ひとつの恋だった -side Aー 数メートル先の通路に、見慣れた背中を見つけた。赤い軍服に藍色の髪、スラリとした体型の、彼。ああ今日は何てラッキーなのだろうと高鳴る胸を抑えて、平静を装ってその背中に近付いた。 一歩、二歩、三歩。そろりそろりと足音を忍ばせて、どうやら気付いていないらしい彼の肩をポンと叩く。本当は抱きつきたいくらいなのだけど、それはさすがにアレなので。 ビクリと肩を揺らした彼は、その翡翠色の瞳を大きく見開いて振り返ると、何だ君かと安堵したように息を吐いた。 「何してるんですか?アスラン」 「ああ、えっと…」 首を傾げて尋ねれば、彼は言葉を濁しながら視線を泳がせる。何だか怪しい。 訝しむように眉を寄せたルナマリアは、ふわり、不意に漂ってきた甘い香りにきょとんと目を丸くした。覗きこむようにアスランの手元を見やれば、白い花の束。沢山の花弁をつけた豪華だけれども可憐な花は、今まで見た花の中で一番だと思える程に美しかった。 何ですかその花。どうしたんですかその花。好奇心に声を弾ませる彼女と対称に、アスランはますます狼狽えたようにキョロキョロと目を動かした。えぇと、その、つまり、これは。誤魔化す言葉を探すものの見つからないのだろう、ルナマリアは聞かなければよかったかなと頭の片隅で思ったが、所詮は片隅であった。やはり好奇心には勝てはしない。 「あ、もしかしてラクス様に差し上げるんですか?これ」 分かった、とルナマリアは手を叩く。彼はその言葉にぎょっと目を剥いて、違う違うと必死に否定の言葉を口にした。今までルナマリアの視線から逃れるように目をそらしていた彼が、今度は真っ直ぐにルナマリアを視界に捉える。その豹変ぶりにルナマリアこそぎょっとして、ぱちぱちと目を瞬かせた。 「え…ち、違うんですか?」 「いくらなんでもこんな花、彼女にはあげられないよ」 「え、何でです?」 その花見た目によらず安いとか?――とはさすがのルナマリアでも言えない。アスランは困ったように苦笑を浮かべるだけで、まぁほらイメージとかあるじゃないか、と曖昧な答えしか返さなかった。 「でも私、その花はラクス様に似合うと思いますけど…」 「いや、まぁ…何て言うか。それに女の子って、花言葉とか気にするんじゃないか?勘違いされても困るし」 「勘違いって…何なんですか?その花の花言葉って」 「ああ、それは、その…俺も詳しくは知らないんだけど。だからこそ迂濶に渡せないっていうか」 もごもごとまたしてもアスランは言葉を濁した。ああ、知ってるんだな、花言葉。ルナマリアは思ったが、追求しても答えてはくれないだろうから、敢えて気付かない振りをした。 「でも、じゃあその花…まさかアスランが貰ったとか?」 「……」 「…アスラン?」 「…何、なんだろうな、本当」 はぁ、とアスランは溜め息混じりに呟いた。ちらりと手元の花を見て、それからルナマリアを見て。観念したようにもう一度溜め息を吐く。 「深い意味がある訳じゃないんだ、別に。これで何かしようとか、そういうつもりはなくて」 花を見つめるアスランの瞳が、僅かに細められる。愛しいものを見るような、切ないものを見るような、そんな優しい眼差しに、ルナマリアは花が羨ましいと思った。自分もそんな瞳で見つめられたなら。嬉しすぎて多分、心臓が止まるのではないだろうか。 そんな彼女の心中など知らないアスランは、まるで壊れ物を扱うような手付きでその花弁に触れた。 「外の花屋に少しだけ置いてあったんだ、この花。それを見てたら、つい」 「…買っちゃったんですか?」 「そういう事になるのかな。考えなしに手にしてたから、これからどうしようか迷ってて…花束なんか持ってるとこ、誰にも見られたくないし」 だからあんなにも挙動不審だったのか。確かに男が花束を持っていれば皆が何事だろうと邪推するであろうし、そういう噂の種にされるのは、誰であってもいい気はしないものだ。 「好きなんですか?」 「え?」 「その花。つい買っちゃったって」 「…ああ、どうだろう。好きっていうか」 思い出が、あって。そう言いながら、アスランは嗤った。自嘲気味に悲し気に。 ああ、いつもの彼の笑い方だ。ルナマリアは眉を寄せた。この笑みを浮かべた彼には近付けない、この時彼はいつも過去を思い返していて、その過去に、自分達にはまだ敵わないのだ。それが寂しくて悲しくて、負けたくなくて。 「あのさ」 「え?あ、は、はい」 「花瓶って…どこかにあったっけ?」 「か、花瓶…ですか。あったかなぁ…」 「あ、別に花瓶じゃなくても、花が活けれるものなら何でもいいんだけど」 せっかくだから、もう部屋にでも飾っておこうかな。苦笑混じりにアスランは頬を掻く。宛てもない花は、結局はアスランの部屋の華になるようで、勿体ない、とルナマリアは思った。 もし――もし自分が彼の婚約者である“ラクス・クライン”で、彼に「その花が欲しい」とねだったら、彼はきっとプレゼントしてくれるのだろうに。婚約者どころか恋人でも友人でもない、ただの上司と部下でしかない自分達の間柄ではそんな厚かましい事など出来なくて、どうすればこの距離は縮まるのだろうといつもいつも考えてしまう。 彼が花を贈る女性はもう決まっている。だからそれになりたいとは言わない。だけどせめて、もう少し近い存在になりたかった。 「えっと…そうですね。活けれる、だけでいいなら、多分食堂の水差しとかでも大丈夫だとは思いますけど」 「ああ、そっか。それがあるのか。じゃあ借りてこようかな」 「でもせっかく綺麗な花なのに、そんなものに活けるだなんて何だか惜しい気もしますね」 「…まぁ、それは確かにそうだけどな」 二人同時に視線を花へ向ける。この花に水差しというのは酷く不釣り合いで無粋だ。本当ならば、その白さが映えるような花瓶に飾りたいところなのだが――如何せん、ここは戦艦。そんな物、不要品以外何物でもなく、置いてあるとは考えにくい。 仕方ないか、と息を吐いたアスランは、じゃあちょっと拝借してくるよ、とルナマリアに背中を向けた。その時にありがとうと礼を述べる事を忘れないのが、何とも律儀でアスランらしい。しばらく呆然とその背を見つめていたルナマリアは、ハッと我に返ると慌てて後を追いかけた。 「ちょっと待って下さい!一緒に行きます!」 言いながら駆け寄ると、アスランはピタリと足を止める。ルナマリアが側に来るのを待って、そうして彼女が隣に並ぶと、彼は不思議そうに僅かに眉を寄せた。何故、とその眼差しが問う。 「あ、えっと…その……駄目、ですか?」 「や、別にそういう訳でも…」 ただ借りに行くだけだから面白くも何ともないぞ。そう言われても、ルナマリアは「いいんです」と首を横に振った。だってそんな事は分かっている、ただ自分は、彼と一緒に居たいだけなのだから。 それきりアスランは何も言ってはこなかった。沈黙は肯定と受け取ったルナマリアは、歩みを始めた彼に合わせるように自分も足を進めながら、黙々と通路を歩くその横顔をちらりと見上げ、相変わらず格好良いなぁなどとぼんやり思う。腕に抱く白い花は彼の高貴な雰囲気を際立たせ、赤も似合うと思っていたけれど意外と白も似合うんだな、ザフトの白い軍服を着てみたらどうなんだろう、そんな想像に胸を踊らせた。 ああ、好きなんだな、私。この人の事。今更ながらに想いを噛み締める。叶わぬ恋だと分かってはいても、それでも構わないと思ってしまう程に。 やがて二人が辿り着いた場所は、食堂ではなくアスランが使っている個室で、彼は慣れた手付きで扉のロックを解除すると、部屋の中、手近な机の上に花束を置いた。外で待っていたルナマリアは、それだけを済ませたアスランが出てくると、じゃあ食堂に行きましょうか、そうニコリと笑いかける。 「あの」 「ん?」 「聞いてもいいですか?その…」 再び並んで歩きながら。 「その…思い出って…」 え、とアスランは僅かに目を丸くした。その様子にルナマリアは慌てて「無理にとは言いませんけど」と言葉を付け足した。 聞けるものなら聞きたい。知れるものなら知りたい。厚かましいとは分かっているけれど、こうして強引に踏み込むくらいでなければ、彼の領域に入り込めないから。 アスランは是とも否とも言わず、ルナマリアから視線をそらした。キュッと口を真一文字に結んだ彼は、そのまま一言も話さない。ああやはり駄目なのか、ルナマリアは眉を下げ、彼女もまた、口を固く結んだ。 そうしているうちに二人は食堂へ足を踏み入れる。アスランは担当の人間に理由を話して目的の物を借りると、行こうか、入り口で佇んでいるルナマリアを促した。はい、とルナマリアはか細い声で返事をする。食堂に人はいない、その程度の声でも十分に辺りに響いた。 ルナマリアは、彼が自分を呼んでくれた事に酷く安堵した。半ば無理矢理同行しているようなものだ、居る必要はなかったし、先の質問で彼を不快にしたのではないかとも思ったからだ。怒られても呆れられても仕方がない、と。 だけど呼んでくれた。 それだけの事に泣きたくなって、その事を悟られたくなくて、アスランより数歩後ろを歩きながら、ルナマリアは僅かに顔を俯かせた。 再び辿り着いたアスランの部屋で、彼は花束の隣に借りてきた水差しを置くと、今度はその花束を手に取った。部屋に入るか入らまいかで迷うルナマリアに、水を汲んできてくれないかな、と僅かに微笑を浮かべながら首を傾げる。 「頼めるかな?」 そう言われては断れない。無意味にコクコクと首を何度も上下させると、失礼しますと恐る恐る部屋の中へと足を進めた。初めて入る彼の部屋に、ドキドキと胸が早鐘を打つ。 そっと水差しを受け取り、奥の洗面を借りて水を注ぐ。普段アスランはここで顔を洗ってるのかと思うと、それすら特別な場所に思えて、ああもう自分は末期だな、とぼんやり思う。 十分に水を注いで彼に手渡すと、彼はそこに白い花を丁寧に活けていく。その様子をじっと見つめるルナマリアに、さっき、とアスランが唐突に口を開いた。 「思い出があるって、言っただろう?この花に」 「え…あ、はい」 「正しく言えば、俺の思い出じゃないんだ。昔…俺にそう言った人がいて」 「…大切な、人だったんですか?」 「大切…そうだな、確かに大切だった。その時の俺にはその人はとても眩しくて、綺麗な人だった」 「……」 「この花は思い出の花だって、俺に教えてくれて、その時あんまり嬉しそうに笑うから、俺はその人にこの花を贈って。そしたらまた、嬉しそうに笑ってくれて…ずっと、それの繰り返し」 だけど――アスランは、そっと目を伏せる。 「だけど、俺は若くて馬鹿だったから…もう、“その人”に会えなくなってしまって。この花を見ると、その時の事とか、その人の事とか、色々思い出す」 亡くなったのか、とは聞けなかった。だけどもそうなのだろう、とルナマリアは一人で結論付けた。 戦争だったのだ。きっと、アスランのように大切な人を失った者は沢山居て。珍しい事では、なかった。 「女の…人、ですか?」 「ああ、そうだよ。俺の初恋」 苦笑気味にアスランは微笑んだ。ああ世界には、彼にこんな表情をさせる人がいるのか。悔しくて、羨ましい。そうですか、としか答えられなかった。 「何て、ごめん。変な話を聞かせて」 「…いえ、聞いたのは私ですから」 居座る理由もなくなって、もう部屋から出なくては、その意識に釣られるようにルナマリアは辞去の言葉を口にした。それじゃあ、私、戻ります。言えばアスランは扉の所までルナマリアを導いてくれる。紳士だな、と変な所で感心。 通路に出て、息を吐く。そんな彼女の背に向かって、ルナマリア、アスランがその名を呼んだ。 「一輪、やるよ」 手渡された白い花。呆然と彼を見上げれば、彼は綺麗に微笑んで。 「ホワイトシンフォニーっていうんだ、その花」 花言葉は“私はあなたに相応しい”――そう、微笑んで。そして彼は扉を閉じた。 アスランが最初、ルナマリアに「ラクスにあげるのですか」と聞かれて否定したのは、ラクスが“ラクス”でなく“ミーア”だったから。 「“ラクス”には、白じゃなくて黄色い薔薇が似合うよ」 っていう台詞をいれようかとも思ったのですが。ちなみに白薔薇の花言葉が最後の(一応アスランの)言葉、「私はあなたにふさわしい」で、黄色い薔薇が「君のすべてが可憐」らしいのですが、前者には「尊敬」、後者には「嫉妬」という意味もあるそうです。 それを分かっての台詞なのかどうかは、書こうとした私にも分かりませんがね(笑)! アスランが、超が付くほど女々しいお話。私の中のアスラン像が日に日におかしくなってくる…。 |