彼の目が驚きに見開かれた。 何だろう。 私、何かいけない事でもしたのだろうか。 私、何かいけない事でも言ったのだろうか。 不安になって見上げた先、彼は。 彼は――少しだけ泣きそうに、顔を歪めた。 《あなたが想ってくれるなら》 最初は、ただ普段と同じで、私の一方通行だったのだけれど。 いつの間にか見慣れてしまったその後ろ姿を見掛け、その側へと駆け寄って。 ああ、ルナマリアか――なんて、彼は何でもない事のように言ったけれど、そうして私を認知してくれる事がどれだけ嬉しく感じるかなんて、きっと貴方は分かっていないでしょう? 今から休憩ですかと聞いたら頷いて、だから私もご一緒していいですかと更に聞けば少し戸惑ったようにまた頷いて。 再び歩みを進めた彼の、その歩調に合わせるように、私もゆっくり足を進めた。 黙々と。黙々と。 並んで歩いてはいるけれど、端から見れば私が勝手に付いて歩いているように見えるに違いない。会話のない私達は、どう贔屓目に見ても親しい間柄に見えないと思う。 ちらりと隣を見上げれば、ただ前を見つめるだけの彼の横顔。 綺麗だな。 素直にそう思った。同時に、やっぱり遠い人のように感じた。 だって、私、気付いているもの。 彼は周りから敬遠されている存在だけど、彼自身も周りと馴染もうと思っていない事ぐらい。 彼の心の中にはいつも“昔の仲間”がいて、“今の仲間”よりも知らず大事にしてしまっている事も。 近くに居ても、こんなに遠い。 手を伸ばせば届くのに、触れてはいけない気がする。 でも私、本当は。 本当に。 触れたいと、思うの。 触れていいですか? 触れさせて下さい。 私は貴方を知りたいんです。 胸の奥が痛くて、思わず溜め息を漏らしそうになる。 けれど、自分から強引に付いてきておいて溜め息などと、彼を不快にするのは目に見えているから、必死で我慢。嫌われたくは、ない。 かわりに何か言葉をかけようと思ったけれど、気が付くともう目的地――談話室もすぐ近くになっていたので、それも止めておいた。 その入り口にさしかかって、不意に彼が足を止める。つられるように立ち止まり、中を見た。納得。 中には先客がいたのだ。 「…シン…」 そう気まずそうに呟いたのは、彼。 その声に名前を呼ばれたシンは不愉快そうに眉を寄せ、 「……」 無言で立ち上がる。 何か言いかけた彼の脇を相変わらず無言のまま通り抜け、あっという間に角に姿を消した。 彼は沈痛な面持ちで顔を伏せた。 「失礼しました。では」 そんな彼の正面で、シンと一緒に居たレイが辞去の言葉を口にして、また同じように去っていく。その動作が余計に皮肉っぽく感じられて、私は思わず顔をしかめてしまった。 あの二人は、いつもそうなのだけれど。 彼もそれを分かっているのか引き留める事も悲しむ事もせず。 ただ、僅かに表情を険しくするだけだった。 こういう時は、本当は何て言うべきなのだろう。 私にはただ、彼を見つめる事か、せいぜいその名を呼ぶ事しか出来ない。 彼は私達に壁を築いているけれど。 でもだからといって傷付かない訳じゃない事を。 私は分かっていたけれど、どうするべきなのかは分からなかった。 「アスラン…」 ガコンと、それ程大きくない筈の音が辺りに響く。見れば、彼が水の入ったボトルを手にしており、その音が自販機からボトルが落ちた音だと理解する。 そのまま、近くの椅子に腰かけた彼を見て、このまま立ちつくしていても仕方がないと、自分も自販機の前まで足を進めた。 「今日はコーヒーじゃないんですね」 「え?」 不思議そうにこちらを見上げてくる彼に小さく微笑んで、彼の手の中にある物を指差す。 つられて己の手中に視線を下ろした彼の隣に、自販機から吐き出された紅茶を手にとり腰かけた。 「だって、いつも飲んでるじゃないですか。でも、今日は水」 「…ああ」 その事か、と彼は相槌を打つ。 何でもない事のように「今日はそんな気分じゃなくて」と彼は言うけれど、でも私は知っているもの。 何種類もあるコーヒーの中から、彼がどれを好んで飲んでいるのかも。 呆れるくらい毎回同じ物を飲んでいるから、一度聞いた事だってある。 それ、そんなにおいしいんですか…と。 コーヒーを飲まない――砂糖が沢山入った甘いモノは別だが――自分には到底理解出来ないけれど、彼が好きならば興味が沸いた。 彼は、苦笑を浮かべながら「いつも飲んでるから、習慣みたいなものだよ」と、暗に『これ以外はあまり飲まない』と、そんな私に言った。 「………」 「…あ…の?どうかしました?」 だから、おかしいと思ったのだけれど。 彼は思いつめたような表情を浮かべ、こちらを見つめる。見つめられる事に照れる以前に、その、何か言おうか言わまいかを迷っているような眼差しが気になって、何事かと首を傾げれば彼はバツが悪そうにフイと視線をそらした。 「…君は…」 声は、苦渋に満ちていて。 「どうして、俺に構うんだ?」 自嘲しているようで。 「俺に不満なら、無理に付き合わなくてもいいんだぞ?シン達の…ようになられたら困るけど、俺のせいで君達の仲を裂いてるなら…」 言っている意味は、すぐに理解出来た。 要するに、私が同情や義務で彼に付き合っていると――彼は、思っているという事で。 「そんな事ないです」 返答に、迷う事なんてなかった。 「そんな事、ないです。だって私…」 じっと彼を見据えた。 彼も、そんな私をじっと見つめた。 「私、アスランの事信じてますから」 その言葉を言った瞬間に、彼の瞳が驚きに見開かれる。けれどもそれは、ただ純粋に驚いている様には見えなかった。 言葉では言いにくい。言いにくいが、とにかく彼の“何か”に触れてしまったのだと、漠然に感じた。 それがいい事なのか悪い事なのかも分からない。 でも…私は、変な事でも言ったのだろうか。してしまったのだろうか。 不安になって、彼が何か反応してくれないだろうかと、そう願いをこめて彼を見つめる。 彼はそれから何故か一瞬泣きそうに顔を歪めて、それから静かに顔を伏せた。 「昔…同じ事を言ってくれた人がいた」 「え?」 相変わらず顔は伏せたまま、その視線はジッと手の中のボトルを見つめている。 その横顔は、“昔”を思い出しているのだろうか。その“同じ事を言ってくれた人”が誰かは分からないが、彼がこんなにも懐かしむように言うその見も知らぬ相手に、私は密かに嫉妬した。 場違いな事は分かっている。でも私の言葉で私以外の人を思い起こされるのは、正直あまりいい気はしなかった。 誰だか知らない。 何時だか知らない。 けれど、今言ったのは私なのに。 それでも反面、彼が胸の内を語ってくれる事が嬉しくもあって、その矛盾を、私は見て見ぬ振りをする事に決めた。 「その時、俺は隊長で…あんまり、仲間とは上手くいってなくて」 「仲間…」 私の脳裏によぎったのは、シンとレイの姿。隊長ではないけれどそれと同等の彼と、そんな彼と不協和音な彼等。 じゃあその人は。もしかして。 今の私のように、そんな雰囲気でも彼の側に居た人? 「その中の一人が、作戦前にね…真っ直ぐ俺に向かって、言った。君と同じ事を、君と同じ表情で。でも…」 グッと彼が拳に力をいれたせいで、彼の手にあるボトルがベコッと音をたてて変形した。 「俺が…っ…」 「アスラン!」 彼は些か興奮してきているようで、思わず、そんな彼を落ち着かせようとその名を呼んだ。同時、彼はハッとしたように言葉を呑んだ。 彼がこんなに取り乱したのを初めて見る――いや、初めてだろうか?これ程ではなくても、彼が声を張り上げている姿は見た事ある気がする。 どこで、だなんて言うまでもなく。 あれは夕日に包まれた、町外れの岩場だった。 向かいあっていたのは私達でなく、彼の昔の仲間だった。 「…俺なんか信じても、きっといい事なんてない…」 どうしてそんな事を言うのだろう。 どうしてそんな顔で言うのだろう。 確かに私は、彼の心の中にはいつも“昔の仲間”がいて、“今の仲間”よりも知らず大事にしてしまっている事くらい気付いていたけれど。 それでも“今の仲間”として信頼されていればそれでよかったのに。 触れたい人。 けれど触れられない人。 その横顔にそっと手を伸ばして、彼の紺碧の髪に触れる。 彼は驚いたようにこちらを見つめたけれど、何より驚いたのは自分自身だった。 知らないうちに伸びた手。知らないうちに触れた髪。 急いでその手を引いたけれど、触れていた感触が指に残って、恥ずかしさに頬が染まるのが自分でも分かった。 「あ…と、私っ…!」 慌てて、声が引っくり返る。直視出来なくて泳いだ視線は、けれどやはり最後には彼のところへと戻ってしまう。 彼の翡翠色の瞳。今は真っ直ぐ向けられてくる、大好きな瞳。 「でも私…私はやっぱり、アスランを信じてるから…」 普段の、どこか大人びた顔が好き。 驚いた時とか、歳相応の反応を見せる所なんか、可愛いと思う。 思案したりしてる時の、僅かに厳しい顔はとても格好いいと思うし。 「私、何があってもアスランについていきます」 でも。 「ルナマリア…」 一番好きなのは。 「……だから、アスラン。そんな顔、しないで下さい」 私が、一番好きなのは。 「……ありがとう」 不意に見せる、彼の笑顔。 「いいえ。お礼を言われる事なんて」 小さく微笑んだ彼に嬉しさが込み上げて、それだけで満たされる自分はなんて単純なのだろうと思う。 クイッとボトルを傾けて水を飲んだ彼は、それから何を考えたのか――私に向かって手を伸ばすと、ポンポンと、軽く頭を叩いた。いや、叩いたと言うよりは…撫でた。 驚いて言葉が出ない。 視線の先の彼はまだ穏やかな笑みを浮かべていて、 「君は死なない……君は…」 脈絡もなく、静かに言う。 最後にクシャリと、故意に私の髪を乱した彼は、それから再びボトルの水を飲んだ。 触れられていた部分が、熱く感じる。離れてしまった彼の温もりがまだ残っているような錯覚に陥って、自分の手でその部分に触れた。 いつもと同じ、赤い髪の感触が、いつもと違うように感じる。 ああ、もしかしたら彼の昔の仲間はもう――そう薄々感じたけれど、彼に聞く訳にはいかないし、何より私は今の事でイッパイイッパイだった。 「あの…?」 彼はもう一度微笑んで。 「俺が死なせないから」 それは言外に守ると言ってくれているのだろうか。 紅潮していた頬がますます赤くなって、心臓が煩いくらいにドキドキする。 彼と一緒にいるだけでいつもとても嬉しかったけれど、今日は本当に夢ではないかと思った。夢なら、覚めないで。 だって、彼が初めて自分の事を話してくれて。 彼が初めて私に触れた。 少しだけ彼と近付けた気がした。 それでもまだまだ遠いけれど。 もしこれが私がしつこく付きまとった成果だというのなら、私はこれからもしつこく彼に付いて行こうと思う。 彼が好き。 いつも飲んでいるコーヒーのメーカーだって知っているし。 昔の仲間を本当に大事にしている事も知ってる。 私はそれくらい、彼を見ている。 彼が想ってくれるなら。 彼が思い出してくれるなら。 私は死んだって構わないと思うけれど。 やっぱり彼の側にいたいから。 私は絶対死ねないと思った。 後書き 自分の書く小説は相変わらず意味不明だと思います。 本当はもっとほのぼのしたものとか書きたいんですが。 アスルナは結構ルナの一方通行でいいんで書きやすいですが、ラブラブとかは絶対無理だと思いました。 |