他人の命を守る事

それは単なるエゴなのでしょうか…?







Transient Happiness







「…ニコル?」

名前を呼ばれて、ようやく自分の足が止まっていた事に気付く。
平和な街――その大通りの一角、静かに佇むようにあった楽器専門店のショーウィンドウの前、食い入るように見つめていたのは、何の変哲もないただのサキソフォン。まぁ敢えて言えば、ソプラノのくせに形状がアルトと同じだったり、色がシルバーだったりで、珍しいと言えば珍しいけれども。

「…ニコル?」
「えっ、あっ!すみません!」

再度名前を呼ばれ、そこでようやくアスランが自分のすぐ側まで来ていたのだと気付く。彼は怪訝そうに眉を寄せ、自分と、そしてその視線の先にあったモノを交互に見つめ、小さく首を傾げた。

「…サックス?」
「いや…何と無く、目についちゃって…」

アスランの問いに、ニコルはバツが悪く顔をしかめながらそう答えた。
怒るだろうか…今はこんな物を見ている場合ではないと。観光に来たわけではないのだと、呆れられるだろうか。
ちらりと横目でアスランの顔を窺えば、その端正な顔の眉間の皺は誰がどう見ても寄せられていて。思わず溜め息が漏れる。

「…すみません」

とりあえず、謝っておこう。確かに呑気にしている場合ではないのだと、自分も重々承知していたし、どう考えても非があるのは自分なのだから。
中立国オーブへの潜入調査――時は一刻を争う。今ここで何らかの情報が得られなければ、かの大天使を逃したに等しくなるのだ。それだけは…軍人として認めるわけにはいかないし、何よりプライドが許さなかった。
もう一度、視線をウィンドウへて向ける。ビロードの布の上に丁重に立掛けられたそれは、やはり何処か惹かれるものがあった。

「…お前」
「はい?」
「ピアノ以外にサックスも吹くのか?」
「吹きませんよ。フルートくらいなら少しはやりますけど…僕、同じ木管でもサックスとかクラリネットとかリード楽器は苦手なんですよね」

あはは、と乾いた笑みを漏らしながら、ニコルはそう口にする。けれど口調はどこかうっとりしたものがあって、多少なりとも憧れを抱いている事が容易に窺えた。
感嘆に近い息を漏らし、見つめる瞳を愛しげに細める。
まるで恋をしているようで――確かに自分はある意味音楽に恋をしているのかもしれないと、ニコルは小さく苦笑を漏らした。

「…サックスって木管楽器なのか?」
「木管ですよ。何も金属で出来てるから金管楽器とか言うわけじゃないんですから」
「…ふぅん」

さして音楽に興味のない同僚は、感心したのかしていないのか曖昧な相槌を打つと、同じように視線をウィンドウの中へと向ける。
その横顔を見つめて…彼の翠緑の瞳が、棚に飾ってある楽器を一通り眺めた後、

「…ニコル、そろそろ行くぞ」
「あっ、はい!」

くるりと背を向ける彼に、慌ててついていく。もちろん、最後の最後、例の楽器を振り返るのを忘れずに。

「…やってみたらどうだ?」
「え?」
「戦争が終わったら…苦手でも練習したら出来るようになるだろ」

何が…とはアスランは言わない。けれどサキソフォンの事を言っているのは明白で――ニコルは驚いたように目を見開き、アスランの顔を凝視した。
よもや彼からそんな事を言われるとは…。意外だと思うと同時、何と無く嬉しい。
ニコルの顔に、笑みが浮かぶ。

「そうですね…そうしたらアスラン、聴いてくれますか?」
「ああ、構わないさ」
「今度は寝ないで下さいね?ふふっ、楽しみだなぁ…」
「いや、だから寝てないから…」
「ああ、アスランの椅子だけパイプ椅子にすればいいのか!そうしたら椅子の座り心地がよくて眠気に襲われる心配もないし…」
「あの…だから…あの時はだなぁ…」
「あ!認めましたね!?今寝ていた事認めましたね、アスラン!」
「…ニコル」








やりたい事がありました。叶えたい夢もありました。
けれど死んでしまったらきっと、そんな願いも消えてしまうんでしょうね――。


でも僕は…虚しくても、無意味でも。
最期に願ってしまうんです。


どうか僕の代わりに、彼等が幸せに生きられるように…って。




《END》