他人の目など気にはしない。他人がどう思おうとも関係ない。他人は他人で、自分は自分だ。 そう強く思えるだけの自己顕示欲が自分にあったならば、もしかすると何かが変わっていたかもしれない。 けれど所詮はないものねだりに過ぎないのだ。 【ジュリエットは愛せない】 別に物語の主人公になりたかった訳ではない。ただ、彼女が大切なだけだった。 彼女と自分の関係を形容する言葉がなくなったとしても、側にいられるならばそれで良かった。想いがあればそれで良かった。 望みは、たったそれだけだった。 言葉で表せばそれは至極簡潔で、それを叶えるのだって、そう難しくはない筈で。 アスラン、と彼女が名を呼ぶ。 ラクス、と自分が名を呼ぶ。 鈴の音のような声を響かせて、彼女はいつもとりとめのない事を話す。過去現在未来、いろんな時に思いを馳せて。自分はそれに、耳を貸す。時々相槌を打ちながら。 穏やかな時間は、確かに自分達だけのものだった。誰にも侵す事の出来ないものだった。 けれども彼女は物語のヒロインで。 自分はヒーローにはなれないのだと。 知った時、気付いた時、愕然とした。 別に物語の主人公になりたかった訳ではない。ただ、彼女が大切なだけだった。 彼女と自分の関係を形容する言葉がなくなったとしても、側にいられるならばそれで良かった。想いがあれば、それで良かった。 それでも彼女がヒロインであるならば、自分だってヒーローになりたかったのだ。 そう思うのは、間違いではないと思う。 今更ではあるが、彼女がヒロインたる所以など、挙げればキリがない。 例えばその容姿。例えばその家柄。例えばその性格。例えばその思想。 彼女を構成する全てが、彼女をヒロインたらしめた。 その婚約者だった自分だって、恐らく最初は、ヒーローたる資格があったのだろう。自惚れではないが家柄だって悪くなかったし、一通りの事は器用にこなす事が出来た――容姿と性格に関しては主観的には判断出来ないので、何とも言えないが。 けれどもそれが今や、ラブロマンスで言うところの“かませ犬”でしかない。 彼女を窮地から助け出したのはキラ。 彼女を敵地から救い出したのはキラ。 彼女に窮地を助けられたのはキラ。 彼女に剣を託されたのはキラ。 彼女の危機に駆けつけたのはキラ。 全て、キラ。 それが偶然の重なりである事は百も承知で、だから嫉妬している訳ではないのだけれど。 けれどもそれは、並べ立てれば美談でしかなく、彼女がヒロインであると同時に、彼はヒーローになったのだ。 人々は“運命の出会い”というのが好きだ。“叶う筈のなかった恋”が好きだ。 つまり――そう、周りは自分とラクスの関係よりも、キラとラクスの関係の方が好きで。 決定打は、自分の名前が“ザラ”であった事。 その名前は彼女を慕う“クライン派”にとってはもはや仇敵に近い。元地球連合軍のパイロットで同胞を数多葬ってきたキラよりも、彼女達を殺すよう命令を下した男の息子の方が、彼等にとっては憎いらしい。 彼の人柄が思想が彼女に近いという事もあったのだろう。周囲からの好感度は明らかにキラの方が上だった。 他人の目など気にはしない。他人がどう思おうとも関係ない。他人は他人で、自分は自分だ。だから自分は彼女を想うのだ。誰にも文句は言わせない――そう強く思えるだけの自己顕示欲が自分にあったならば、もしかすると何かが変わっていたかもしれない。 けれど所詮はないものねだりに過ぎなくて、だから自分は結論付けてしまった。 彼女の側に、いてはいけない。 その考えは、あながち間違いではないとも思った。そこには自分の、彼女の、友人の、それらの意志は全く尊重されはしないけれど。 彼女が彼女の道を行く為に。彼女が勝利を手にする為に。 “クライン”が“ザラ”に勝ったのだと、知らしめる為に。“クライン”である彼女は、“ザラ”である自分の手を取ってはいけない。彼女が物語のヒロインで在る為に。彼女は周囲が望むヒーローと共に在らねばならない。 だからその温もりを、手離す。 「どうして…どうしてそんな事!私は、アスランと一緒がいいです!一緒でないと嫌です!」 「…そう言いますけどね、ラクス。俺をかませ犬にしたのは貴女ですよ」 「そんなつもりはありません!そんな…アスランを蔑ろにするつもりは…!」 「ですが貴女は蜂起した。俺の父親と対峙する道を選んだ。本来なら…俺と貴女も、対峙していても可笑しくはない」 「でもアスランは私の側に来てくれました!」 「それは結果論です」 「そうだとしても!私はアスランを信じてました!信じてましたもの…っ!」 もう一緒にいない方がいいでしょう。そう告げたアスランに、当然ながらラクスは強く反発した。その反応を示してくれただけでも十分だ。などと思うのは単なる自己満足だろうか。 俯いてしまった彼女の頬にアスランが手を添えると、つられるように彼女は顔を上げた。雫にこそなってはいないけれど、その瞳は涙に濡れている。そんな顔をされると、抱かないと決めた罪悪感が僅かに首をもたげてしまう。 「キラをヒーローに仕立てたのは貴女です、ラクス」 「…え?」 「少なくとも、クライン派にとっては…ですけど。そして大衆は、ヒーローとヒロインに期待を寄せるのです。貴女は貴女がしでかした事に責任を持って、ヒロインになりきらないと」 「…私に自分を殺せ、と。そうおっしゃいますの?アスランは」 「貴女の名で集った者達です。貴女が裏切ってどうするんですか」 「…っ!冷たい事を、おっしゃいますのね」 女性というのは得てして感情的になりやすいものだ。けれどもアスランは、彼女が聡明な人であるのも知っている。 冷たい、と彼女は言った。大衆の為に起った彼女に大衆の為にと訴えるのは確かに卑怯かもしれない。けれども、そう思うからこそその言葉を選んだのだ。 「…アスランの言いたい事は、よく分かりましたわ」 「…ラクス」 「そして悔しい事に、私はアスランの意志を覆せる程の反論を、持ち合わせてはおりません」 そう言いながら、ラクスは淡い笑みを浮かべる。慈愛に満ちた、ともとれる。けれども、泣くのを堪えて、ともとれる。複雑な笑みだと、アスランは思った。 「周りは関係ない、と言った所で無駄でしょう…いえ、私がこの道に引っ張り込んだのに、関係ないとは言えない。そう、言いたいのですよね、アスランは」 「…ええ」 「個としての“ラクス・クライン”ではなく、全としての“ラクス・クライン”であれ、と」 「ええ、そうです。ですから俺も、個としての“アスラン・ザラ”ではなく全としての“アスラン・ザラ”を貫き通します。貴女がそうである限り」 「そう…ですか」 ラクスは項垂れた。今度はアスランも、無理にその顔をあげさせようとはしなかった。 いっその事、大泣きしてくれれば。盛大に罵ってくれれば。そうして自分を恨んでくれればいいのに。けれども彼女はきっと、自分を責めはしないだろう。それはそれで物分りが良くて助かるのだが、勝手を言っているのはこちらである手前、居心地の悪さも感じてしまう。 せめて何かフォローの言葉でも紡いだ方がいいだろうか、とアスランは視線を彷徨わせたが、上手い言葉が見つからない。代わりに、こっそりと気付かれないように小さく嘆息した。 「…アスラン」 そんな彼の些細な葛藤に気付いたのか、それとも偶然か。沈黙を破ったのはラクスの方だ。 彼女は本当にか細い声でアスランの名を呼ぶと、一歩二歩、アスランの方へと歩み寄った。近付く距離を再び開ける事も出来ず、アスランは呆然と立ち尽くす。 そんな彼の身体に、ラクスはそっと寄り添った。両手でキュッと赤いザフトの軍服を握り締め。その胸に顔を埋める。アスラン、と再度名を呼ぶくぐもった声が、アスランの鼓膜を刺激した。 「アスラン、ねぇアスラン。どうしてあなたは“アスラン”なのですか?貴方が私を想うなら、あなたのお父様を捨ててお名前を名乗らないでくださいな。もしそうなさらないなら、私への愛を誓って欲しいです。そうすれば私は“クライン”の名を捨ててしまいますのに」 ああ、とアスランは思った。 本当ならば、自分はかの物語になぞらえて、彼女の言葉に応えるべきなのだろう。この名前が気に入らないなら、貴女の好きに呼べばいい、と。 けれど出来ない。 アスランはラクスの肩に手を置いて、そっとその身体を引き離した。見上げてくる彼女の目には、期待の色など浮かんではいない。応えてくれなくて当然だと、彼女も本心では分かっているのだろう。 ラクス、とアスランはなるべく穏やかな声色になるように、彼女の名前を口にした。 「ラクス。俺は父上の名前を捨てる事など出来ません。だってあの人は父なんです。貴女の敵でも父なんです」 「…分かっていますわ、アスラン」 「そしてそれは貴女も同じでしょう?貴女はシーゲル様の娘である事を誇りに思ってる。俺が貴女に愛を誓って、名前を捨ててくださいとお願いしても、貴女にはそれが出来ないでしょう?」 「…ええ、そうです。だって私はラクス・クラインなのです。貴方がアスラン・ザラであるように、私は…」 もし彼女が、こんな戦艦などに乗らずに、プラントでずっと帰りを待っていてくれたならば。そうすれば自分はヒーローになれたのかもしれないけれど。 「アスラン、お願いです。一度だけ。一度だけ…愛の言葉を、私に誓って」 これで最後にしますから。そう言う彼女を、アスランは優しく抱きしめて。 「愛してる」とは言えないから、「愛してた」と囁いた。 あとがき(長文的な言い訳) プラントでは誰もが知る関係であるアスランとラクスですが、その2人をエターナルのクルーはどういう目で見ていたのでしょう。それぞれ別の人を選んで、何も思わなかったんでしょうか。 このお話のエターナルのクルーはキララク推奨です。 クライン派が勝利する為にはザラを完璧に降さなければならない。で、アスランは味方してくれてるから別にいいけど、長い目で見ると“クライン”の側に“ザラ”がいては困る。だからラクスにはキラを選んで欲しい、と。 ラクス自身は本当はクライン派もザラ派もどうでもよくてただ戦争が終わればいいとか思ってるんだけど、自分が戦艦を率いてきた手前、彼等の偶像でいなければいけないとは感じている。 そしてアスランは、自分がクライン派に加担したからにはこの勢力を勝たせなければならなくて、クライン派を勝たせるにはラクスには彼等の理想であってもらわなければならいと思ってる。 お互い想いあってるのは分かってるけれど、それが互いの(というかラクスの)為にならないから、互いの為に想いを封印する事を決めた。すれ違いカップルです。 最初はガチガチのアスラク信者でキラUZEEEEとか思ってる一般兵士Aのお話を考えてたんですが、どうしても最後の一文をアスラクで書きたかったのでこっちに方向転換しました。 「愛してる」と「愛してた」の、微妙なニュアンスの違いが、いいかなぁと。 有名すぎて今更言うまでもないですが、台詞の引用はシェークスピア「ロミオとジュリエット」のジュリエットの台詞からです。タイトルの「愛せない」は「出来ない」の意味ではなく「してはいけない」の意味です。「愛してはいけない」だと語呂が悪かったので。 |