「私は護られるより護りたいんです」







お伽話のお姫様








どうして気になったのか分からない。どうしてそこに行こうと思ったのか分からない。ただ何と無く、ふと目に留まっただけだった。ただ何と無く、足を向けてみただけだった。
真剣な表情で的を見つめ、まるでこちらに気付く様子のない彼女の姿に、思わず彼は見惚れてしまった。それはもちろん彼女の容姿が整っているからとかそういう理由で無くて、その表情が、あまりに真っ直ぐで真剣だったものだから。介入する事が憚られたのだ。
パンッと音が響き、それから二度三度。
再び静寂が訪れ、彼女は溜め息をつきながらその腕を下ろす。彼はそんな彼女に声をかけようかしばし思案し、結局労いの言葉をかける事に決めた。

「お疲れ様」

そう言った彼に、驚きの表情で振り向く彼女。それから彼女は恥ずかしそうに僅かに頬を朱に染めた。

「やだ…何時からいらしてたんですか?」
「ああ、ついさっき。熱心だな、てっきり部屋で休んでいるのかと思った」
「…何か体を動かしてないと落ち着かなくて。それに、やっぱり射撃は苦手ですから。少しでも練習しないと」

彼女は小さく肩をすくめる。対して彼は苦笑のようなそうでないような曖昧な表情を浮かべ、彼女の側へと歩み寄った。
彼女の射撃の腕は僅かながらに上がっているのだろう。以前に比べ、中心部により近い場所に弾痕が見受けられる。
それでももちろん“上手い”という域ではなかったが。
トリガーを引く時に手首を捻らないようにするんでしょうと、彼女は手に持った銃を構え、冗談混じりにそれを撃つ真似をした。

「まさか本当に戦争になるなんて思いませんでした。前は、こうやって練習してたけど、でもやっぱり実戦で使う事になるなんて思いませんでしたから」
「ああ…」
「だから、少しくらい下手でも許されました。でも今は、これが原因で自分の命も仲間の命も失うかもしれない…それだけは、絶対に嫌です。射撃が下手だったなんてこんなつまらない事で命を落とすのも、仲間の死の言い訳にそれを使うのも」

彼は彼女の言葉を聞いて、彼女が先程まで対峙していただろう的を見遣る。
例えばそれが人間だったとして、確かに“彼”は死ぬだろう。けれどそれは恐らく即死ではなくて、“彼”には抗う時間も気力もあるかもしれない。そしてその僅かな間に、こちらの有利が覆される場合もあるかもしれない。
戦場は、いつ何が起こるか分からない。
ただ一つ言える事は、どれ程悔やんでも後戻りは出来ないという事だけだった。

「君は…どうして軍に?」

不意に彼は問うた。
銃を握るにはあまりにも純粋で、引金を引くにはあまりに真っ直ぐな彼女に。
彼女がどうして自らその茨の道を進もうと決めたのか、それが彼には不思議でならなかった。

「…先の大戦の時に、私はただプラントで護られているだけでした。怖くて、何も出来ない自分が悔しくて…」
「……」
「だから決めたんです。護るために戦う事。プラントもそこにいる人達も大好きだから。私は…」



「私は護られるより護りたいんです」



例えば、御伽話のお姫様が自らの不幸を嘆くばかりで何もしないのと同じように。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるのをひたすら待っているように。
護られるだけは嫌だった。
護りたいと思った。
彼女がその細い腕で引金を引く理由は、ただそれだけ。それは一種の自己満足。

「…そうか」

彼は安心したような、それでいて悲しんでいるような、複雑な表情を浮かべた。
護る為に奪う矛盾。
奪う事が日常になる不安。
そして失う事への恐怖。
ああ、軍とは何て虚しい組織なのだろうと、彼は思う。思うけれど、自分も今そこに属していて、過去属していた。結局、矛盾しているのは自分も同じだという事に、知らず漏れるは自嘲の笑み。彼女はそれを見ると、怪訝そうに首を傾げた。

「まぁとりあえず、やりすぎで倒れたりしないようにな」

それから彼は、小さく笑う。
つられて彼女も笑みを浮かべ、「じゃあ、倒れたら貴方が介抱して下さいね」と冗談めかして言葉を発した。
きっと、「それは無理だ」と困惑してくれるだろうと思って。「何を言っているんだ」と呆れられるだろうと思って。
しかし彼は彼女の予想に反し、先と同じ笑みを浮かべながら、

「ああ、いいよ」
「…え……」

自分からしかけた悪戯に関わらず顔を真っ赤に染めた彼女に、彼は今度はさもおかしいとでも言うように声をたてて笑う。それを見て彼に填められたのだと気付いた彼女は、悔しそうに眉を寄せた。

「…最悪…」

ポツリと呟いた彼女の言葉に。
彼は「ごめんごめん」と今だ肩を震わせながら謝ると、それから目の前の彼女を見つめた。
穏やかな眼差しだった。
どこか懐かしむような、それでいて愛しいものを見るような。憐れむような、それでいて僅かに自嘲するような。
けれどもそれは、穏やかな眼差しだった。

「じゃあ俺はもう行くから…本当に無理するなよ。それでもし病気になったりしても困るからな」
「…分かってますよ。そんな事で作戦に支障をきたしたら元も子もないですもんね」
「いや、そうじゃなくて」

彼は余り口数が多くない。無駄な事を話そうとはしない。
だから彼女は彼の事はデータ上のものでしか知らないし、実際のところどういう人間かも分からない。ただ漠然と“凄い”人で、悪い人ではないという事しか知らなかった。

「心配するだろう…その…一応」

そしてそんな彼が照れながらも言った言葉は、彼女の気持を高揚させるには十分で。
言い辛そうに言葉を濁しながら彼女から僅かに視線をそらす彼を、彼女は驚きの眼差しで凝視する。顔に熱が集まるのを、彼女は自覚していた。

「貴方が…心配してくれるんですか?」
「人聞きが悪い事を言うな。その…俺が心配したら何か悪いとでも言うのか?」
「あ、いえ!まさかそんな事!むしろ嬉しいです!」

わたわたと弁解する彼女に、彼は安心したかのように再び小さな笑みを浮かべた。
それじゃあ、と2度目の辞去の言葉を口にして、彼女に背を向けて。背後で扉が閉まる音を聞いて、彼は何と無く溜め息をついた。




騎士に守られた姫君は、周りが傷付いていく事に耐えられませんでした。自分だけ呑気に過ごしている事に耐えられませんでした。

「私も皆と戦いたい。私も皆を守りたい」

強く願った彼女は、そうして武器を手に取りました。綺麗な衣服やあらゆる楽しみを捨て、武器を手に取りました。
幸せは待つものではない。自ら掴むものなのだ。
彼女は言います。


けれど、ならば彼女をお城に迎えに行く筈の王子様と、彼女は出会う事が出来るのでしょうか。




彼女は強くて、それで以てまだ汚れを知らない。それは決して良い事だとは言えないだろう。
しかし、彼は思うのだ。
彼女のその前を見据える瞳が翳る事がなければいいのに。その瞳で何時も先を見続けてくれればいいのに。
彼女が涙を流す事が無ければいいのに。
彼は静かに目を閉じる。瞼の裏に彼女の笑顔を思い浮かべ、それから今まで自分が守ってきた中立国の姫君の顔を思い浮かべ。
ああ、彼女達は何と無く似ているんだろうなとぼんやりと考え、そして彼は彼女を思い遣った。


『護られるより護りたい』


ならばせめて、自分は彼女を護ろうと。彼女に護られずに護ろうと。







「病って、恋の病も有りかしら」

彼女が後に一人でそう呟いた事を、彼は知らない。
けれどまた、彼がそんな事を考えている事を、彼女は知らない。









後書き

久しぶりの小説です。一応アスルナ…?
書いているうちに何が何だかよく分からなくなった作品(笑)