初めて彼女を見た時に、彼女は「あの人を殺したからってトールは帰ってくるの?」と、確かにそう言っていた。
だから…そう、何となくだけれど。
彼女にとって俺の存在は本来受け入れられざるべき存在であり。もちろんそれは、もしかしたら彼女だけの事ではないかもしれないけれど。
俺は、何となくそう感じた。




でも彼女は、笑ったんだ。



ミリアリア・ハウよ、と。
笑って俺に言ったんだ。








宇宙ソラの下、空の元》









「…あなた、それで本当にいいの?」

と、半ば呆れたようなそうでないような眼差しを向けてくる彼女に、俺はただただ困惑の色を浮かべるだけだった。
偶然にも街中で彼女の姿を見付け、そうして今こうやって二人で向き合っているのだけれど。
アークエンジェルがどうとか、ザフトに戻ったとか、そう言えばアイツがどうだったとか、 およそ年頃の男女が二人きりで会話するには似つかわしくない内容を話し… まぁ、元々俺達はそのような間柄ではないのだから、当然と言えば当然だろうが。それでももしかしたら周りには、そういう風に見えるのかもしれない…と、その時俺は混乱する頭の片隅でぼんやりと思った。
思うだけで、そうなりたいとかなりたくないとか。それ以上でもそれ以下でもなくて。
何も答えない俺を怪訝に思ったのだろう、彼女は僅かに眉を寄せ、それを見てようやく俺は飛ばしていた意識を現実に戻した。
あ、いや…と言葉を濁す。
話の脈絡から彼女が何を言いたいのかは理解出来たが、何を言っても彼女は納得してくれないんじゃないかと、そんな予感があった。
例えば是と答えたところで俺の今までの立場を知っている彼女は不満気に顔をしかめるだろうし、否と答えたところでそんな曖昧で軽薄な俺に彼女は軽蔑するのだろう。 彼女にとって俺はいつもキラの親友であってカガリの恋人であり、ディアッカの仲間…特に前者二つの印象は強いに違いない。故に今の俺は彼等に対する裏切りだと。


キラもカガリも嫌いじゃない。むしろ好きだ。
けれど今の俺は彼等の影に縛られて。
仕方ないとは分かっているが、目の前の彼女は俺とあのキョウダイを天秤にかけたら、きっとキョウダイをとる。俺を理解はしてくれても同意はしてくれない。


何故。どうして。
今更ながらに悔しくてたまらない。
そして彼女にどうしたら解ってくれるのだろうかと、どうしたらあの二人よりも俺を見てくれるのだろうかと、密かにあがく自分が虚しくてたまらない。


「…どうして…」

ポツリと彼女が漏らす。
弾かれたように彼女を見れば、彼女は居心地が悪そうに視線を泳がせていた。
周りは賑やかな市街地だと言うのに、その一角であるオープンカフェだというのに、俺達の周りだけが重い空気を漂わせて。

「…あなたは…カガリさんが好きなんでしょう?」
「……」

それは、もちろん。
そうでなければ護衛など務めない。
心の中で思えど言葉には出さない。そんな俺に彼女は再度眉を寄せる。
多分、不満なのだろう。
でも俺は、それでも肯定しなかった。カガリと一まとめで考えられる事に多少なりとも抵抗と憤りを感じ…肯定したくなかった。

「…違うの?」
「それは…っ!…そんな事は、ない。アイツの事は…誰よりも大事だと、思うし」
「ならどうして…カガリさんが悲しむって、分かってたでしょ?ならなんでそんな悲しませるような事…」

ほら、やっぱり。
ギリッと唇を噛んだ俺に気付かずに彼女は更に言葉を続ける。

「キラだってあなたの事、誰よりも信頼してた。なのに…あなたは本当はカガリさんを支えてあげなきゃならないのに、キラを助けてあげなきゃならないのに」

カガリを支え、キラを助ける。
果たして俺の存在価値はそれだけなのだろうか。俺が必要とされるのはそれだけの為なのだろうか。


『お父様との事は良く知りませんけど…その人は私達の間じゃ英雄だわ』


違う。


『アスラン…君は君だ』


違う。


「あなたは…あなたにはそこまでしてザフトに行く意味が…」
「どうして君にそんな事を言われなきゃならない!?」

彼女の言葉を遮るように声を荒げる。同時に立ち上がったものだから辺りにガタンと大きな音が響き、何事かと、周囲からの好奇の視線が集まった。
彼女はただ驚いたように目を丸くして。
それでも視線を外してこない彼女に、俺はそのまま、声を大にして半ば叫ぶように言葉を続けた。

「何故…君は俺の何を解ってそんな事を言う!?知ってるのか!?俺が何を思い何を見て、何を感じて決断したと…軽々しく決めたとでも思ってるのか!?」
「ちが…っ!そんなつもりじゃ…」
「そんなつもりだろう!?俺がいつもカガリの側にいなきゃならない理由も!キラの側にいなきゃならない理由も!行動を共にしなきゃならない理由も!全部君が俺を彼等の付属としか考えていないから!」

彼はそうじゃない…ディアッカは。彼は彼女の中できっと明確な存在であるだろうに。


どうして俺は違うのだろうか。
キラの親友だからか。
カガリの恋人だからか。
それとも…やはり、恋人の仇だからか。


「俺は…あいつ等の“オマケ”じゃないんだ…!」


そこまで言ってようやく落ち着きを取り戻し、ゆっくりと腰を下ろす。周囲でヒソヒソと詮索する声が聞こえたが、敢えて聞こえない振りをした。
空はまだ青い。
黙り込んでしまった彼女から視線をそらし、ただ何と無く、そのどこまでも青い空を見つめる。
現実味のないこの感覚が、いっそ夢ならば。目が覚めたら、自分はいつものようにオーブにいて、キラやラクス、そしてカガリと…変わらない日常が続いていたならば。
でも…もしそうだとしたら。
俺はきっと、それこそ彼等の“オマケ”のまま。その事に気付かずに、きっとずっと。
そう思うと自然と自嘲の笑みが漏れて、彼女が、不安ながらに不思議そうに小さく首を傾げた。
まるで皮肉だ。
そんな立場にならなければ自分すら理解出来なかったなんて、まるで笑い話じゃないか。

「…ごめん…」
「いや…」

それ以降の会話は続かず、互いに無言で。けれどどちらも「じゃあ帰ろうか」とも言わずに、静かに、時間だけが刻々と過ぎていく。
彼女が何を考えているのかは分からないけれど、自分は何も考えてはいなかった。
このどこか現実から…日常からかけ離れた時間。静かで、ゆっくりに、永遠とも言える様な。時間が足りないとか、もっと時間が欲しいとか、そういう事はよく聞くし自分も思うけれど、どうしてこういう時間は有り余るように感じるのだろう。
自分が浸っていたいから?
それともつまらないから?

「…ねぇ」

彼女の声にゆるりと首を回す。

「…それでもあなたは、カガリさんが好きなんでしょう…?」
「……」

答える気になれなくて、静かに目を伏せる。

「あなた達が目指すものは同じなのに…離れてまでザフトにいく価値が、本当にあるの?」
「……」

答える気がないのではなくて、もしかしたら答えられないだけなのかもしれないけれど。

「君は…」
「え?」
「君は…俺が、やっぱり気に入らないのかな」
「…な…」

言葉を呑んだ彼女に俺は小さく微笑んで、「そろそろ行こう」と、それから静かに席を立った。彼女は何か言いたそうに僅かに口を開いたが、すぐに閉じて俺に続く。
カタンと、二人分の椅子が動く音。
空になったカップを所定の場所へと返却して、店を出て、その前で彼女と向き合う。「あの…」と二人同時に口にして、二人同時に口をつぐんだ。

「…えっと、何?あなたから言って」
「ああ、いや…君からどうぞ」
「……」
「……」
「……私…」

戸惑いがちに紡がれる言葉と、揺れる瞳。その姿を見つめながら、彼女が何かを言い終えるのをじっと待つ。
2年前と変わらぬ姿を持つ彼女は、けれどどこか少し大人びて見えて、やはり月日は間違いなく過ぎたのだという事を、否応なく実感させられる。きっとここで出会わなければ関わる事のなかった自分達の関係に、それでも数万人といるこの街で偶然にも出会えたこの因果に、不思議なものだと思ってしまうのは多分間違いじゃない。

「私…あなたが気に入らない訳じゃないの…ただ…」
「……」
「やっぱりショックだったのよ。あなたが、キラやカガリさん達に黙ってザフトに戻った事が」
「そうか…」
「…それで?あなたは?」
「ああ…その、俺はただ…今日はいきなり済まなかったな、と…それからありがとうと言おうと思って…」

その俺の言葉に面食らったとばかりに数度瞬きを繰り返し。それから彼女はふわりと小さく微笑んだ。
いいのよ、全然、構わないわ。
そんな事を言っていたような気がするけれど、正直、耳には入ってこなかった。見惚れた…と言えばそうかもしれない、その何の邪気もない素直な笑みに、今度はこちらが面食らう番だった。
不意打ちだ。
ずっと、このまま堅い空気で終ると思っていたから、まさかこんなタイミングで笑ってくれるとは、思うはずもないじゃないか。
思わず赤面しそうになった顔を押さえるように口元を手で覆った俺に対し、彼女は不思議そうに首を傾げる。その視線がまた恥ずかしくて、そのままフイと顔を背けた。

「それじゃあ私、行くわね」

辞去の言葉に何とか視線を戻すと、彼女はもう笑っては居なかったけれど。
「ああ」と頷くと、彼女は「それじゃあ」と再度口にして、ゆっくりとこちらに背を向ける。歩き出した彼女をしばし見つめ、さて、じゃあ自分もそろそろ行こうかと体を反転させかけた時。
不意に、彼女が言葉を紡いだ。

「私…」

急いで振り返れば、彼女は顔だけをこちらに向けていて、その表情には薄く笑みが浮かんでいて。

「あなたに声をかけられた時、本当は凄く嬉しかったのよ。私の事ちゃんと覚えていてくれたんだって、気付いてくれたんだって、本当は嬉しかったの」

彼女が笑ってくれるから。
彼女がそう言ってくれるから。

「今日は…私こそありがとう」

言い終えて、今度こそ完全に背を向けた彼女は、そのまま足早に、街の中に姿を消しいく。見えなくなるまで見送るつもりではなかったのだけれど、結果的にそうなってしまい…見えなくなっても、暫くその場に一人で立ち尽くしていた俺は、彼女の言葉とその笑みを、胸の中で何度も思い出していた。
別に、人が笑う事も礼を述べる事も、嬉しかったと伝える事も、行為としては何ら珍しい事などではない筈なのに、どうしてだろうか。
彼女が言うと、とても大事な言葉に聞こえて。
その笑顔は他の誰のものよりも印象的で。



あの人を殺せばトールは帰って来るのと、彼女は言った。
それでも、ミリアリア・ハウよと、彼女は俺に笑ってくれた。



ああ、どうしてもっと、あの時ちゃんと彼女と話しておかなかったのかな。
2年前の、すでに朧気な記憶を辿り、俺は小さく苦笑を漏らし。


歩み始めた俺の髪を、ふわりと風が撫でていく。
これからの事を考えると気が重くはなるけれど、でも今は――少しだけ暖かく感じる気持ちの、その余韻に浸り、仰いだ空の眩しさに思わず目を細めた。







明日も、晴れであればいいと思う。












後書き

このシーンはアスミリ好きとしては書かないといけないだろう!…とは思っていたのですが。
アスカガが前提なので、難しい上にCPものとは言い難い…どこまで絡ませてよいのやらで(汗)
何だかよく分からない話になってしまいました…。

それにしても書いている途中で「キラって皆に支持されて幸せだよなぁ」と思いました。
きっと皆アスランとキラが対立したら何だかんだでキラの味方をするんだろうなぁと。そう考えるとアスランは可哀想だと思います。
よかれと思ってやった事を否定されて糾弾されて。


PS2「終わらない明日へ」でミリアリアがアスランに自己紹介をしていたので、それを元に書いています。
もしかしたら…てか、分からない人も居るかもしれないけど、そこんところは勘弁してください。書いてから気付いたので;