仲間でも 友達でも 知らない事が 多過ぎて



君は誰だろうか



僕は――誰だろうか






《胡蝶ノ夢》

10:見えない境界






 酷く、懐かしい夢を見た。
 暖かくて優しい夢――その中で自分は、本当に幸せそうに、嬉しそうに笑っていた。
 この世の惨劇など何も知らず、楽しい事だけ見つめている。大好きな人に囲まれて、いつまでもこの時間が続くと信じていて。
 父と母と。大好きな親友とその両親と。笑って、笑って……。




 何がそんなに楽しいの?
 そう囁く声がする。
 けれどこの団欒を壊す声など聞きたくないから。





 幸せ?




――ああ、幸せだ




 何が?




――皆いるから…




 皆って、誰?




――友達や、親や…




 親?親が好きなの?




――ああ、好きさ…







 ……撃タレタノニ?












「……っ!」

 飛び起きた瞬間、どうしても震えが止まらなかった。暑くもないくせに大量の汗をかき、運動をしたわけでもないのに呼吸は荒く。
 肩が痛い。目頭が――熱い。
 掴んだシーツの白さが目に痛くて、思わず固く目を閉じる。


――親が好き?


 まだ誰かが耳元で囁く声がする。
 嘲るように、笑いを孕んだ声で心を蝕むように、小さく、優しく。いるはずのないその主の吐息すら感じるようだった。
 傷が酷く疼く気がした。肩だけのはずなのに、右肩から下、手の先まで痛みで痺れているような気がした。その傷の熱さにぼやける思考に、先程の夢の光景がちらついて離れない。

「…違うっ…俺は…」

 アークエンジェル士官室。隣のベッドには静かに寝息をたてているキラがいる。
 それが唯一の救いのように思えた。
 立ち上がり、そっと彼の顔を覗き込む。昔と変わらないあどけない寝顔がそこにあって、アスランは知らず小さく笑みを漏らした。

“変わっただろ、アイツ…”

 変わらない。変わらないんだ、キラは。
 何も変わらない。優しさも、強さも、けれどたまに見せる弱さも。あの頃のまま。強いて変わったと言うならば、ただ少しその視野が広くなって、その纏う雰囲気が大人びたくらいだ。だけど自分にとって彼はずっと弟のような存在で、大人びたと言ってもまだ子供で。
 そっと乱れたシーツを直してやり―そういう所がまだ子供のようだと思う―、起こさないように細心の注意を払いながら、アスランは静かに部屋を後にした。
 扉を通る前、最後にもう一度眠るキラの姿を見遣って。シュンと音を立てて閉まる扉の無機質さに無慈悲さを感じてしまう。
 それから何処に行く訳でもなく、行くあてがある訳でもなく、ただ呆然と立ちつくした。壁にもたれ、自分の両の手を見つめ、気が付くと、そのままズルズルと座り込んでいた。
 見つめる両手はまだ僅かに震えている。
 恐怖。
 絶望。
 哀惜。
 織り混ざる感情はもはや言葉には出来なくて。
 まだ父を完全には捨てきれない、そんな自分が情けない。
 カガリは父親を目の前で亡くした。ラクスは父親を知らぬうちに亡くした。
 その一因に、急進派の父が少なからず関係している事は間違う事のない事実。そんな彼女達の手前、自分が父の事で悩むのはどうしても憚られる。彼女達にはもう、悩む余地すらないのだから。


――けれどどうして…


 どうして自分がこのような業を背負わなければならない?
 そう思う気持ちはやはり拭えずに。
 平和に暮らしたいと願っただけだった。
 大切な人を失いたくないだけだった。
 そんな純粋な想いですら今は、今だけは霞んで見えた。

「…アスラン?」

 声がする。自分の知っている、数少ない声がする。
 首を動かすのも気だるくて、アスランはその声に何も反応を返さなかった。相手に対する罪悪感はあるけれど、それも本当に些細なものだった。
 今はただ、自分の不幸と苦悩を嘆き。

「…どうしたの?こんな所に座り込んで…」
「……」

 近付く気配。それにやっと相手を見上げれば、怪訝そう…というよりは気遣うようなミリアリアの顔。
 屈んで目線を合わせるようにする彼女の真っ直ぐな瞳に、アスランは眩しいモノを見るように目を細めた。

「…惨めなんだ」
「…え?」

 自嘲するアスランに、ミリアリアは僅かに眉を寄せた。そんな彼女に小さく微笑んで、アスランは続きの言葉を紡いだ。
 何を言い出すのだろうと、自覚はあったけれど。ミリアリアになら話せるような気がしたのだ。
 そしてそうすれば楽になるんじゃないかという、根拠のない確信も。

「惨めだ…凄く。父を憎もうと思えば思う程、父が恋しくなる」
「……」
「あの人と普通の家庭を築けるとか思ったわけじゃない…俺達には俺達なりの家族の在り方ってものがあったから」

 けれど愛がないわけじゃないと。分かっているから歯痒い。

「…分かってるよって、言っても慰めにしかならないからさ、私には何も言えないけど」
「…汚れるぞ」
「いい、構わない」

 話しながら自分の横に腰を下ろしたミリアリアにアスランは顔をしかめたが、ミリアリアは首を振って拒否の意を表した。
 膝を抱えるように座り込むミリアリア。並んで座る自分達の姿は、傍から見ればさぞ滑稽に見えると思う。

「…ねぇ、続きは?言いたい事、まだあるんでしょ?私、全部聞くから…」
「…ミリアリア」
「聞くから…何時間でも、何日でも。話してくれるなら全部聞くから…」

 だから話して。そう言うミリアリアの瞳はジッと前を見据えていて、向けられないその瞳に酷く安心した。
 恐らく今、ラクスのような慈愛の眼差しを向けられたら、きっとまた自分は自分の殻に閉じこもって、何でもないと笑ってしまうのだろう。
 自分の抱いている想いは決して明るくも楽しくも無く、きっと相手の気分ですら落ち込ませてしまうだろうから、たかだか自分の話で、その優しい瞳を翳らせてしまうのはどうしても憚られるし、そんな様子は見たくもない。だから恐らく、誤魔化して、そしてその暖かさを守ってしまうのだろう。

「…俺は…」
「うん」
「母を見つめる父の瞳が優しかった事を知ってる。母と一緒にいる時に俺を見る目が優しかった事も気付いていた…」

 発砲した父の横。ガラスの割れる音の先にあったモノ。

「父の執務室には…母と俺の写真があった」

 見間違うはずがない。アレは確かに昔、月で母と撮った写真。
 それを父が持っていた――その瞬間、一瞬だけ心が揺らいだ。
 父の側を離れたくないと。この人を撃ちたくないと。銃を向けようとした自分を悔いる自分が、確かにいた。

「何で…何であの人は…あの人は人を愛せないんじゃない。愛してるから…」
「……」
「不器用なんだ。ただ愛し方が…だから失った悲しみは憎しみに変わる…」
「血のバレンタイン…お母さんが…」

 事ある毎に“血のバレンタイン”を引き合いに出すあの人は、兵の士気を高めるだけじゃない、きっと自分への戒めにしていたんだと思う。
 悲しみを忘れない事で憎しみを増す。正に悪循環。
 でもだから彼に「忘れろ」と、言う事は出来ない。

「俺はあの人に死んで欲しくない…生きて、認めて欲しい」
「…うん」
「ただそれだけなんだ…本当に」

 誰かに父を解ってもらおうとか、そんな傲慢な願いがあるわけじゃない。ただ人としてやはり父の死は望まないから。
 これは秘めた想い。キラにも、ラクスにも、カガリにも、ディアッカにも。話す事はない想い。
 彼等は優しいから、聞けばきっと、引金をひく手をためらってしまうだろう。
 彼等が傷付けば、皆が悲しむ。けれど父が傷付いて悲しむのはもはや自分だけだから。

「…不器用ね、アスランも。お父さんと同じじゃない」
「そうか?」
「うん、すごく不器用。悲しいなら悲しいって、寂しいなら寂しいって、素直に言えばいいのに」

 そう言って。こちらに向けられたミリアリアの瞳は真っ直ぐで。
 笑顔でもなく、睨むでもなく、真剣な表情のまま彼女は言葉を紡ぐ。

「泣きたければ泣けばいいのに…」

 時間が止まったような、そんな錯覚を起こしてしまいそうな感覚。その言葉に目を見開くアスランを、ミリアリアは見つめ続けていた。
 泣けばいい。
 泣きたいのなら。
 自分は今、泣きたいのだろうか。
 泣いて、いいのだろうか。

「…アスラン」

 名を呼ばれ、アスランは慌ててミリアリアから視線をそらした。俯いて、視線を落とせば自分の紅の軍服が目に映る。
 そして一方で左手で右肩に触れれば、完治していない傷は容赦なく悲鳴をあげて。ズキン――と、まるで脈打つように痛みが走る。
 撃たれた傷。父親に撃たれた傷。
 だけどあの時。
 自分も父へと銃を向けた。
 自分も、もしかしたら父を撃っていたかもしれないのに。

「…ごめん、私…余計な事言ったかな?」
「……」
「…アス…っ!」

 誰もが――父ですらザラ家としての“アスラン”を求め、そして自分もその期待に恥じぬよう努めてきた。
 けれどそれはその方法以外での自分の在り方を知らなかっただけ。強いと、しっかりしてると、そう見られる事が当たり前の中、弱い部分は隠すしかなくて。
 思わず抱き締めたミリアリアの体が強張るのにも気付いたけれど、どうしても放す気にはなれなかった。この温もりを、どうしても感じていたかった。

「アスラン…?」
「ごめん…けど、もう少しこのままで…」

 欲しい言葉をくれた彼女。誰もくれなかった言葉をくれた彼女。
 多分、頬を伝う暖かいモノは自分の涙。


 泣くのはこれが最後。次に泣くのは全部終わってからにするから――だから今だけは、このままで…。













今までで一番アスミリな回。
ここからアスランはミリィに傾倒していく予定(あくまで予定)。



加筆修正・2007/1/3


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