ほら空を見て

僕等の希望がそこにある






《胡蝶ノ夢》

9:明けの明星






「…行った…な」

 カガリのその言葉が、果たして自分に同意を求めて放たれたものなのか、それとも単なる独り言なのか。飛び出していくシャトルとフリーダムの姿を見送りながら小さく呟く彼女の横顔に、何か言うべきか否か、ディアッカは柄にもなく迷ってしまった。
 アスランが父親―今や評議会議長となった、パトリック・ザラの事であるのは、言うまでもない―と話をしたいと単独でプラントへ、その為にキラが途中までの護衛を買って出て。どうして行くのか、行く必要はないのではないか。どれ程説得しようともアスランは首を左右に振るばかりで、引き止めることも同行する事も出来ない、カガリとディアッカは2人を見送る事しか出来なかったのだ。
 その間、カガリは驚く程静かだった。だからこそ、その呟きはどこか切なく、快活な彼女の雰囲気との違いに戸惑いを生むには十分なものだった。
 本当は、ただ普通に相槌を返せばいいと、頭では分かっている。それなのに答えられない。その一瞬の躊躇が尾を引いて。
 真っ直ぐな光を宿す褐色の瞳が切なげに細められる様。カガリ・ユラ・アスハなどと大層な名前を掲げておいて、それこそ口調や態度は姫君や令嬢などには程遠いと言うのに――こういう反応だけは普通の少女と何ら変わりはない。

「あのさ…」
「…何?」

 今度は確かに自分に対しての呼び掛けに飛びかけていた意識を現実に戻し、普段と何ら変わらぬ口調でそれに答える。自分にはそういう重苦しい雰囲気は似合わないと、ディアッカは自覚しているつもりだ。
 だからあくまで平静に。相手を気遣うからこそ気遣うような口調でなく。
 相手もきっとそれを望んでいると、分かっているから。

「アスランの父親…危ないのか?」
「はぁ?」
「いや…だから。大丈夫なのか、って。無事に帰って来るよな」

 こちらを見ず、らしくない細々とした声で尋ねてくる彼女の頭の中は、恐らくアスランの事で一杯なのだろう。全く、恋する乙女の様な―いや、多分実際にそうなのだろうが―反応である。その初々しさに呆れるというか、反面羨ましいというか。
 カガリに聞こえないようディアッカは思わず小さな溜め息をついてしまった。同時、苦笑が漏れる。

「さぁな、俺には保証は出来ないけど。ザラ議長は急進派の鏡みたいな人だし」
「…アスランと仲、悪いのか?」
「いい、とは聞いた事ないな。実際見たわけじゃないけど、あの親子は必要最低限の会話しか、しないらしいし」
「それ、無茶苦茶悪いって言わないか?」
「かもな。んで今回、その必要最低限を越える会話になるわけだ。ある意味すげぇ決意したと思わねぇ?」

 ようやくこちらを振り向いたカガリは、その言葉に怪訝そうに眉を寄せた。
 分からない、と。言外に告げているその表情。確かに父親と仲の良かった彼女には、父親と話をするのに勇気がいるだの、決断を下すだの、不可解な事でしかないとは思う。
 けれど逆にその事が哀れで仕方がない。

「ま、分からないなら仕方ないけど。要はお前がアスランの事信用してればいいだけじゃねぇの?」

 恐らくカガリにとって想い人にあたるアスラン。そんな彼の心情を理解し得ないカガリが酷く哀れだと。
 真っ直ぐすぎる。汚れを知らない。故にそれは時に自滅を招く、諸刃の剣。
 けれどまさか、ただそれだけで彼女がアスランを傷つけるなど、そこまでカガリも馬鹿じゃないと、知らず心配しすぎていた自分に、ディアッカは軽く自嘲の笑みを漏らした。

「…それ…その言葉」
「あぁ?」

 再びカガリはディアッカから視線をそらす。けれど今度はカタパルトを見つめるでもなく、伏せた顔の先にあるのはカガリ自身の拳。ギュッと握り締めたその手を、ディアッカもつられるように見つめた。

「その言葉、ミリアリアにも言われた。私がアイツからアスランの事聞いてここに来る前…アイツ、そう言ってきた」
「ミリアリアに?お前、ミリアリアに聞いてここに来たわけ?」

 てっきりブリッジの奴等かと思った。そう言えば、カガリは小さく首を横に振って否定の意を表した。

「ミリアリア、知ってたみたいなんだ。アスランがザフトに帰るって。アスランに聞いたらしい」
「…へぇ」

 初めて知った事実に意外に動揺したらしい。その言葉に返せたのは感嘆の言葉だけ。
 つまり、ミリアリアは食堂ではち合わせた以前に聞いたという事か。だから一緒にいたのかと、納得する自分と僅かに嫉妬する自分がいる。その嫉妬が仮にも元同僚である自分を差し置いて知り合ったばかりの女の子に先に話をされたからか、それともその女の子が自分の気になる存在だからか――生憎、判断材料の乏しい今では何とも言えなかったが。

「言ったんだ。何で止めなかったんだ、って。そしたらアイツ…“信じてるから”“アスランは止めて欲しくて私に言ったんじゃない”って。何か…物凄くくやしかった」
「……」
「いたたまれなくなって、逃げたよ。アイツの言ってる事、分かってるけど認めたくなかった」

 あまりに真っ直ぐ見つめてくるから、気圧されちゃって、とカガリは苦笑を浮かべる。そう言うカガリは泣きそうだと、ディアッカは思った。
 恋人を殺した相手をこんなに信じている自分が不思議でならない。けれど彼を信じたい、信じてる。
 ミリアリアはそんな内容の事を言ったらしい。その光景がありありと目に浮かぶ。彼女は本当に気丈で優しくて、彼女がアスランと親しくなる事だって、何ら不思議ではない気がする。

「キラも、分かってるんだろうな。アイツは一番アスランを信頼してるから…」
「殺し合ってたくせにな」
「……お前…」

 何の気もなく漏らした言葉に、カガリはぎろりとディアッカを睨みつける。悪い意味で言ったつもりではなかったのだが、どうやらカガリにはそう聞こえたらしい。ディアッカは慌てて弁解の言葉を口にした。

「ああ、分かってるって!俺が言いたいのはそういう意味じゃなくてだな」
「じゃなくて?」
「信頼してたから殺し合えた、って事」
「…はぁ?」
「信頼してたからさ。多分、相手に安心してたとこあるんじゃないか?何だかんだで噛み合ってるからな、二人。ニコルの事とか色々あって一時期はズレが生じたけど」

 殺すとか、殺されてしまうとか、恐らく考えなかったんだと。
 そういえばあのエースパイロットはストライクに関しては普通じゃなかったなぁと、遠い昔の事の様に思う。普通じゃないと言えば、銀髪の彼も普通じゃなかったけれど、それは単に彼のプライドの高さ故の、今思えばただの嫉妬だろう。
 ああけれども、もし彼が今の自分を見たら、やはり腰抜けか裏切り者か。そう罵倒されるだろうか。彼にとっては許せない仇敵達と共に行動しているというのは。彼にとっての好敵手に恐らく今一番近い立場に居て、その彼の心情を思い理解しているというのは。

「…イザークだっけ?」
「ああ…って、は?」

 不意に、カガリが彼の名を呟く。本当に不意だったから、思わず普通に頷いてしまって、軽く流してしまうところだった。彼女は、今何と言ったか?何故、彼女がその名を知っているのだろう?当然沸いてくるはずの疑問に、危うく気付かない所だった。
 そんな、驚きに目を見開くディアッカに、対してカガリは肩をすくめながら、

「いや、アスランが食堂で言ってたから。同僚だろ?今ソイツの事考えてるんじゃないかと思って」
「え…いや…ああ?」

 間抜けな声だと、自分でも思う。そんな自分にカガリはさもおかしそうにケラケラと笑い声をたてる。
 どうやら元気になったらしい…が、どうも振り回されている感がして気に入らない。

「何かお前に話したらスッキリした。そういえば飯、放り出して来たんだっけな…どうりで腹が空くわけだ」

 言葉通り、スッキリした笑顔のカガリは、ディアッカの不快感などお構いなし。踵を返すよう方向転換をすると、一度軽く伸びをして。

「…ありがとう」

 照れているのかいないのか。ぶっきらぼうに放たれた言葉は意外な程小さいモノ。
 全く、世話がやける姫君だと。素直なんだか素直じゃないんだか分からないその反応に、ディアッカは何度目になるか分からない苦笑を漏らした。

「ああ?聞こえないなぁ?もう一回大きな声で言ってくんない?」

 本当は聞こえていたけれど、このままにしておくのは癪だと―別に仕返しのつもりではないが―、敢えてからかいの言葉をかける。
 当然、返ってくるのは笑顔どころか睨みつける様な眼差し。と、言っても顔は真っ赤に染まっているから、全然凄みはない。

「さ、ワンモアプリーズ?」
「〜っ!ありがとうございましたっ!」
「ははは!元気でいいねぇ!」



 ただの友達にしては近い、けれど親友でも恋人でもない、敢えて言えばまるで妹のような。カガリの存在は、ディアッカにとってはそのようなものだ。
 それもいいかもしれないと、ディアッカは思う。
 今までそんな相手はいなかったから、新鮮でいいじゃないか。
 戦いを忘れられる場所が増える事は悪い事じゃないじゃないか。
 それでもまぁ――たまには兄や姉のような、そんな存在も欲しいものだと、子供組―認めたくないがこの艦ではそういう位置付けになるらしい―最年長の身としては、願わずにはいられないが。
 ちなみにディアッカにとって年上であろうマリューやフラガ、その他のクルー達は、二十代にも関わらず“おっさんおばさん”の域になってしまうなどというのは、ここだけの話である。













ディアカガチックにするのは当初から決めてましたが、いざ書いてみると思ったよりツボりました。
兄妹みたいでいいです。カップルというよりコンビって感じで。



加筆修正・2007/1/3


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