思い出は色褪せず

築き続ける新たな思い出






《胡蝶ノ夢》

12:不可侵領域






「お帰り、アスラン」

 ミリアリアと別れるた後、すぐ側にあった扉を通るや否やかけられたその言葉に、不意をつかれたアスランは驚きに目を見開いた。

「どうしたのさ?早く入ったら?」

 何故ならば――寝ているとばかり思っていたキラがベッドに腰を下ろし、自分が出ていった事がさも当たり前なような顔をして微笑んでいたから。
 呆然と、しかしキラを凝視するように見つめるアスランの肩にトリィがとまる。以前自分が作った最高傑作ともいえるマイクロユニットは今日も今日とて絶好調の様子。

「…アスラン?」

 小首を傾げるキラと同時、同じく首をかしげて可愛らしく『トリィ』と鳴いたりなんかするその物体。一瞬、別世界に迷い込んだような、そのあまりの呑気さに、制作者であるアスランも思わず頭を抱えてしまった。
 何だか――今先程までの自分の憂鬱が馬鹿みたいじゃないか。
 一旦、アスランは深く溜め息をつくと、疲れたようにキラの真正面、もう一つのベッドに倒れ込むように腰を下ろした。その時には既にトリィは親であるアスランの肩を離れ、持ち主であるキラの肩に戻っていた。

「……キラ」
「うん?」
「いつ起きた?」
「ちょっと前。アスラン、いなくてビックリしたけど探すの面倒だから待ってた」
「ああ、そう…」

 探されなくてよかった――気付かれないように、そう内心安堵の息をつく。
 もし万が一キラが部屋を飛び出したとして、そうすれば自分はミリアリアを抱き締めて泣いている姿を目撃されたわけで……。
 自分の顔が熱くなるのが分かる。思い出せば出す程、ああ何て恥ずかしい事をしたもんだと、思わずにはいられない。

「?アスラン?」
「っ!いや、別に…」

 怪訝そうに眉を寄せるキラの視線から逃れるように、アスランは隠すように己の手で口元を覆い、フイッと横を向いた。
 言えるわけがない。口が裂けても言えるわけがないじゃないか。まさか女の子に弱音を吐いて慰められていたなんて。それに――例えその部分を上手く誤魔化して言ったとしても、内容如何では下手をするとキラを傷付けかねない。
 キラに言わないでその友達に言った、その事実に彼が自分はまだ許されていないのだと自身を責める事だって有り得るのだ。本当はむしろその逆なのだけれど、それを彼に言った所で、彼にはただの言い訳にしか聞こえないかもしれない。
 近すぎて、互いを知りすぎて。自分の痛みを誰よりも理解出来るから、だから敢えて口には出来なかった。彼には、ラクスと同じ、綺麗でいて欲しい笑っていて欲しいと、己の偶像を重ねている部分が少なからずあって、だから自分の事などで、心痛めてなど欲しくは無かった。

「キラ、お前、せっかく時間があるんだからもう少し寝たらどうだ?」
「アスランこそ休んだらどう?人の事言えないと、僕は思いますケド?」
「…目が冴えてるんだ。今はいい」
「んじゃ僕も同じって事で」
「……」
「……」
「……ふっ」
「…くっ…あははっ」

 横目で窺うキラの顔が真剣で、それがかえって笑いを誘う。思わずそれに吹き出したアスランは、また同時に吹き出したキラと二人、部屋中に響く声を立てて笑った。
 何がそんなに面白いのかは分からない。けれど二人して腹を抱える程笑って、キラの方は目に涙まで浮かべていて。

「あははっ…ははっ…久しぶり…アスランとこんなに笑うの」
「…だな」
「懐かしいね、こうやって隣で寝るの。昔アスランよく泊まりに来てたの思い出す」
「ああ、キラがマイクロユニットの課題を忘れてて“仕方なく”泊まり込みで作ってやったやつか」
「ちょっ…何で“仕方なく”って強調すんのさ!しかも“作ってやった”って何!?“手伝ってやった”じゃなくて!?」
「事実じゃないか。て言うか手伝って貰う事自体間違ってるんだから」
「ぐっ…!」

 軽く睨んでそう言えば、キラはバツが悪そうに顔をしかめた。そういう仕草も昔のままで、せめて彼が纏っている服が地球連合軍の軍服でなければと、僅かに寂しい気分。
 彼は連合、自分はザフト。並ぶと、やはり昔の自分達ではないと思い知らされる。
 変わったのは自分の方。変えてしまったのは、自分の方。

「…でも、ホント」

 嬉しそうに笑うキラは、何にも変わってはいないのに。彼はただ、少し大人になっただけなのに。

「こうしてると、昔と何ら変わらない…戻ったみたいな気になっちゃうよね…」
「…戻ったみたい、か…実際は戻れもしないくせにな」

 微笑みが自嘲に変わる。あの頃のように、無邪気に笑えたら、素直になれたなら――忘れてしまったあの頃の自分に戻れたら、どんなに楽だろうか。
 少なくとも、昔の自分ならば自嘲など浮かべてはいないに違いない。
 今しがた浮かべている表情ですら、昔と違うのだ。いつの間にこれ程変わってしまったのだろう、何が自分をそうさせてしまったのだろう。そんな事は、誰に言われるまでもなく分かっているのだけれど。

「うん、それは分かってる。僕も君も…元に戻るには少し、罪を犯し過ぎた」
「戻れないなんて分かっている。だからといっていつまでも過去にこだわるのではなくて、これからまた新たな関係をつくればいい…だろ?」
「そうだね。僕はザフトと、君はアークエンジェルと…ね。そういえば君に聞きたい事、何個かあるんだけど」
「何?」

 先とは微妙に違った空気が二人を包む。けれどそれは決して嫌な空気ではない。むしろ雰囲気は明るく、それは心地の良いものだ。

「それじゃ、まず…ラクス…と婚約解消したって…ホント?」
「何だ今更。ラクスに聞いたんだろ?」
「聞いたけど…信じられない。だって君達、あんなに…」
「あんなに?」

 言葉を濁すキラを見、それが自分に対して嫉妬を抱いているのだろう事は容易に想像出来た。彼がラクスに好意を寄せている事など、いくら感情に疎い自分でも気付いていたのだ。
 エターナルを助けてくれた時も真っ先にラクスの名を呼び―それはラクスが真っ先にキラの名を呼んだせいでもあるが、彼はしばらく自分とバルトフェルドの存在に気付かなかった―、悲しむ彼女を優しく受け止め。彼女を見る眼差しは、優しさと愛情に溢れていて。
 こめかみ辺りを押さえながら「だから…」とか「つまり…」とか、言いたくないのか言い辛いのかは分からないが、いつまでも唸り続ける彼が、自分とラクスをどう形容しようか迷っているのは明らかだ。しかもその形容は、キラにとってはあまり良い言葉ではないのだろう。
 あまりにも面白い親友の様子に、からかってやろうか――そんな悪戯心がアスランの胸をよぎる。

「そうだな、解消はしたさ。けど個人的にラクスの事は好きだからな。別に彼女がいいって言うなら結婚しても構わないと思ってる」
「えぇっ!?アス……えぇっ!?」
「何だ、そんなに驚く事か?」
「いや、ごめん…そっか……えっと……うん、そっか…」
「……」

 そんなワケないだろ――見るからに落ち込む彼の姿に内心そう突っ込みつつ、アスランは盛大な溜め息を漏らす。
 大体、自分はラクスの涙を見たことがないのに。泣きつかれたキラが彼女の中で自分より優位なのは明らかじゃないか。
 今だキラは何かを呟き自身に言い聞かせているようで、どうやら余程ショックだったらしい。少し、やりすぎたと後悔したと同時、純情な彼に僅かに頬が緩んだ。

「…冗談だよ」
「…え?」
「だから、冗談。てか、まだあるんだろ?聞きたい事」
「え?え?ちょっ…えぇ?」
「だから…ラクスの事は確かに好きだけど、恋愛感情とは違うって言ってるんだよ」
「……」

 先を促すアスランに、ハメられたと気付いたキラは顔を真っ赤にしてパクパクと口を金魚のように開閉させたが、その反応ですら可愛らしいものだと思う。

「…で?お前がラクスが好きなのは分かったから、次は何?」
「…アスラン、いい性格になったね」
「まぁな。同僚に恵まれたから。羨ましかろう?」
「…何かすっごいムカつくんですけど…まぁいいよ、次は真剣に答えてくれるなら。アスラン…ミリアリアと何かあった?」
「……え?」
「ずっと不思議だったんだよね。何で君達、そんな風に何もなかったかのように振る舞ってるのか。何時の間に仲良くなったの?」

 それから溜め息一つ、キラの放った言葉に――何もなかったとは、言外にニコルとト―ルの事だろう、そう言っているキラの瞳は真っ直ぐで。
 まるで追い詰められた犯人のような気になり、それがまた「逃げなければ」と言う焦りを駆り立てた。思わず口をつぐんだアスランの瞳を、まるで射抜くようにキラの紫電の瞳が捕えてくる。

「…別に」

 何故こんなに自身で緊張するのか分からなかった。頭の片隅では笑って話せばいいと分かっていたにも関わらず、実際は強張った表情になってしまう。
 明らかに不自然だった。何かあったと、言っているようなものだった。
 けれどもやはりアスランは戸惑うように瞳を揺らし、ふいっとキラから視線をそらした。

「ただ少し、話をしただけさ」

 少し――ね。
 今まで交わした会話を思い出しながら、アスランは自嘲の笑みを漏らした。目をつむれば彼女の言葉ばかりで、それこそキラやラクスの言葉よりも鮮明に思い出せるというのに。
 確かに側にいた時間はほんの2、3回なのだと。
 その鮮明な記憶は、誰にも言うまい。言いたくない理由は今はまだ分からないけれど、自分の胸の内にだけ秘めておきたいのだ。
 その時の自分の想いも交わした言葉も、全て。

「キラ、アスラン!起きてるか!?」
「…ディアッカ?」

 その時、タイミングよく話を中断する様に聞こえてきた元同僚の声――助かった、とアスランが思ってしまうのは仕方がない。何と無く、この話題は早く終わらせたかった。
 安堵の息をつくアスランを横目に、キラは扉へと駆け寄ってロックを解除すると、邪魔をされたとばかりに不服そうな眼差しでディアッカを見つめた。

「何の用?」
「何って…お前何でそんな不機嫌なわけ?」

 キラの肩越しに見えるディアッカは相変わらず苦笑を浮かべていて――ふと一瞥されるように彼と目があったような気がした。
 それは刹那の出来事、確証は何もないけれど。

「エターナルとクサナギからお姫様が約2名、お見えになるそうだ。お前等に出迎えに行けってさ。ここの艦長殿が」



 その意味を考える余裕などなく、周囲の状況は変わっていくのだ。













キラとアスランの会話がなかったので、少し。



加筆修正・2007/1/3


BACK TOP NEXT