自分の進む道が間違いなのか行き止まりなのかなんて、まだ分からない






《胡蝶ノ夢》

13:囚われた過去






 今後の方針について――だなんて、どうせ父親の話が出るに決まっている。
 何をするでもなく、ただぼんやりと窓の外の景色を眺めながら、アスランは小さく息をついた。
 ガラス越しに見えるのは無限にひろがる宇宙でも青く澄み渡る天でもなく、無機質な壁が囲む空間とそこに鎮座する戦艦2隻。ザフトの最新鋭の戦艦であるエターナルと、オーブのイズモ級二番艦クサナギ。やはり製造元が違うと外観も変わるものなのだな、そんなどうでもいいような事を考えて。


――逃げている…


 その自覚はあったけれど、けれど今は別段それに自己嫌悪したり罪悪感を抱いたりはしなかった。仕方ないではないか、今はそんな気分ではないのだから。そう、割り切れる自分がいる。

“エターナルとクサナギからお姫様が約2名、お見えになるそうだ。お前等に出迎えに行けってさ。艦長殿が”

 それにしても、“お姫様”ね。
 元同僚の間違ってはいないその例えに小さく笑うと、アスランはその“お姫様”達の顔を思い浮かべた。
 ラクス・クラインとカガリ・ユラ・アスハ。正反対の性格であろう彼女達が仲良く談笑している姿など、容易には想像出来ないけれど。友好的な二人は、あくまで表面上で衝突する事はあるまい。
 それに――キラ一人に任せてしまった事に対しては多少後ろめたい気もするが、彼ならば大丈夫だろう。恐らく二人の橋渡も上手くしてくれるだろうし、自分の事も何とかフォローしてくれるはずだ。

“……キラ”

 ディアッカが呼びに来た後、そう切り出した自分に。

“…その言葉の続きは、僕が予想している通りでいいのかな?”
“………済まない”

 優しく細められる、彼の紫電の瞳に酷く安堵した。それはとても 惨めさを誘う――また彼に迷惑をかけてしまったんだという、そんな罪悪を抱かせる。けれども彼は決して責めない、だから安堵した。
 ああでも、彼はいつからそういう瞳をするようになったのだろう。あのような大人びた瞳をするようになったのだろう。
 キラもラクスも、ディアッカさえも。過去を知る人間は皆どこか先の道を行っているような、自分だけが置いていかれているような、不意にそんな気がした。

“戦争で散った命を、誰かのせいになんて出来ないのよ”

 以前彼女と宇宙を眺めた場所。今はその漆黒の世界を望む事は出来ないけれど。
 ソッと手を伸ばし、窓に触れる。そのガラス特有の冷たさが妙に心地がいい。
 同時についた、小さな溜め息――その音しか聞こえない程静かなこの場所では時間の感覚がまるでなくて。一秒が一分に感じられる程ゆっくりに思え、目を瞑れば何処にいるのかさえ分からない…そんな錯覚に襲われる。
 もしかしたら今までの事はすべて夢なのかもしれない、と。目を開いたら見慣れた場所で、今すぐにでもあの一つ年下の同僚が自分の名を呼んでくれそうな気さえした。


“アスラン!”


 あの優しい笑みが。


“貴方らしくない…とは僕も思います”


 咎めるような、軍人の眼差しが。


“本当はもっとちゃんとした所でやりたいんですけど…”


 未来を夢見る、少年の瞳が。


“僕はアスラン…じゃない、隊長を信じてます”


 彼の真っ直ぐで澄んだ瞳が、ハッキリと思い出せる。
 今思えば、自分は彼にキラを重ねている部分があったのかもしれない――優しくて穏やかな雰囲気は、少なからず似ている部分があったから、知らず甘えている部分があったのかもしれない。もっとも、彼の方が落ち着いた雰囲気はあったけれど。

「…ニコル…」

 お前は今の俺を見て、どう思うか?
 心の中で問う。もちろん、答えなど返っては来ない。
 呟きは静寂の中に呑まれ、後に残るのはピンと張り詰めた空気のみ。

「…アスラン!」

 それを切り裂くのは、果たして誰の声だろう…?

「アスラン!」
「…何だ、カガリか」
「“何だ”とは何だ!失礼な奴だな」

 ゆっくりと振り返れば、心外だとばかりに顔をしかめる、カガリの姿。不思議と彼女がここにいる事に驚きはなかった。別に来るだろうと期待していた訳でも予想していた訳でもないけれど、心のどこかで“やっぱり”と感じているのも確かだった。

「探したんだぞ、いろいろと…」

 そう言いながら近付いてくる彼女を、アスランはぼんやりとした瞳で見つめた。
 そしてその姿にふと既視感を抱く。デジャヴ――いつだったか、以前にも似たような事があったような。

“探したの。来てるって聞いたのにどこにもいないから…”

 ああそうか。確か以前は彼女が探してくれたんだった。
 カガリとは似ても似つかない“彼女”の姿を彼女に重ねてしまう、そんな自分にアスランは小さく苦笑を漏らす。それを見たカガリが、怪訝そうに眉を寄せた。

「…何で笑う?」
「いや、別に…それより何か用か?探したって、話し合いの途中だろう?まがりなりにもオーブの代表が…」
「いや、うん…それはまぁ…。心配だったから……こっち来たらキラしかいないし、キラもキラでアスランの事話さないし」

 だから…と、そこでカガリの瞳が揺れる。彼女の表情は一変、辛そうに歪められた。

「お前、頭ハツカネズミになってないか?」
「はぁ?何だ、その例えは」
「えっと、こう…思考がぐるぐるぐるぐる……」
「……それは…また言い得て妙な事を」

 思考がぐるぐるぐるぐる――自分自身で認めている事に、アスランは小さく自嘲の笑みを漏らして。とにもかくにも心配してくれている、その事実は純粋に嬉しかった。
 以前はキラの事で一杯で、だから気付く事のなかった他人からの気遣い。今は素直に受け止める事が出来る。
 大事にしたいと思った。ちゃんと応えたいと思った。今度こそは、それに答えられるように。

「あのさ…父親の事、やっぱ気になるんじゃないのか…?」
「……」
「あ…ごめん、辛いよな、思い出す事だって…」
「いや…」

 まるで自分の事のように寂しげに瞳を伏せるカガリの頭に手を置いて、アスランは小さく首を振った。同時、カガリが窺うように不安気な瞳で見上げてくる。

「行かなかったのはただ周りに気を遣わせたくないから。それだけだよ」
「…アスラン」
「お前だって俺の目の前でパトリック・ザラを罵倒出来ないだろう?命に関わる話し合いに同情はいらないから」
「でも…」

 それでも尚不服そうなカガリの頭を、それからあやすように2、3度軽く叩いてやる。
 彼女に言った言葉は嘘じゃない。確かにまだ父親の事は気にかかる。それこそ先の言葉通り“ハツカネズミ”かもしれないけれど、それでも大分割り切る事が出来た。
 一度思い切り涙を流したから――誰か一人でも自分の気持ちを理解してくれる人がいるから。
 それだけで、十分。もうちゃんと、やっていける。
 何処かぼんやりとした、カガリの瞳はニコルと同じ、褐色の瞳。まぁどちらかと言えば、カガリの瞳は琥珀色に近いけれど。
 そういえばと、ニコルを思い出すと同時、宇宙に上がった直後、カガリの持っていた写真の事を思い出す。
 美しい女性と、その腕に抱えられた二人の赤ん坊――写真の裏には、“キラ”と“カガリ”の文字。もしあれがここにいるキラとカガリの事を指しているのなら彼等は双子という事になる。あれは本当に、本当の事なのだろうか。

「…アスラン?」

 気が付けばカガリを凝視していたらしく、カガリが僅かに首を傾げる。怪訝そうに呼ばれた声に、アスランはハッと我に返った。

「あ…いや…」

 訝しむようなその眼差しに、アスランはバツが悪いとばかりに顔をしかめた。
 けれど視界の片隅に映るそんなカガリの姿は、やはりどことなくキラに似ているような気がして。
 そう、よく似ている――色素も違うし、雰囲気が違うから普段は分からないけれど。こうして同じような表情で同じような仕草をすれば、確かに似ているのだ。今まで全く気付かなかったのは性別と姓名が違うから。そもそも一体どこの誰が、自分の幼馴染がオーブの姫とキョウダイなのだと考えるだろうか。

「そうだな、少し…話、でもするか」
「え?」
「せっかく探しに来てくれたんだろ?何か話でもしないか、と言っているんだ」
「ああ…うん、そうだな。えっと……」

 すぐ隣で、笑みを浮かべる“キラによく似た”少女――彼女は“アスハ”であり、他の誰でもない。
 けれど一度意識してしまったフィルターは簡単には外せなくて。
 すぐ隣にキラのキョウダイかもしれない少女がいる。キョウダイだと知らなかった少女がいる。キラにとって彼女は唯一無二の肉親かもしれなくて、彼女にとってもキラは唯一無二の肉親かもしれなくて。

「キラの…」
「?」
「キラとの思い出でも聞かせてやろうか?」


 何故そんな言葉を口にしたのか――そんな分かりきった答えに、アスランは自嘲の笑みを漏らさずにはいられなかった。






 所詮自分と彼女を繋ぐものなんて、恐らく“キラ”しかないのだろう。













アスランはカガリを手のかかる妹と認識してます。
だってこれ、一応アスミリだからさ…。



加筆修正・2007/2/7
アスランが若干薄情になっとる。


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