幼い頃の記憶―― 忘れたくない思い出



だけど人はどうして、忘れてしまうんだろう






《胡蝶ノ夢》

14:過去、現在、未来






「当面の問題は、やはり月でしょうか…」


――アスランが、いない


 その事実に、どういうわけか周りの言葉が全くといっていい程頭に入らなかった。
 陥落したビクトリア、地球軍がそこから次々に部隊を送って来ている――そう説明する、ラクス・クラインの凛とした声。視界を横切る“エンディミオンの鷹”と“砂漠の虎”の影。どれもこれもがどうでもよく感じられ、カガリは静かに瞳を伏せた。

“俺は馬鹿だから…”

 アスランが来ないのは、父親の事があったから?それとも元婚約者と親友が並ぶ姿を見たくなかったから?

「“蒼き清浄なる世界のために”」

 バルトフェルドがそう漏らし、フラガが咎める声がする。

「どうしてコーディネイターを殺す事が“蒼き清浄なる世界のため”なんだろうねぇ?」

 知らない。
 そんな事、誰だって知らない。知りたくも無い。

「…っ」

 弾かれたように、気が付けば扉に向かっていた。視界の端で、キラが何か言いたげな瞳を向けているのを捕えたけれど、気には留めずにそのままブリッジを後にした。
 探さなければ。
 探さなければ。
 探さなければ。


――でも何で?


 何かに駆り立てられるように、我武者羅に通路を進む。辺りを見回しながら、それらしい姿はないだろうかと血眼になりながら探し続けて。


――だって、会いたい…


 ただそれだけだった。会ってどうする、というワケでもなし、ただ会って声が聞きたかった。その笑顔が見たかった。
 進んで、進んで。元々人が少ない上、今は艦外での作業のために出払っているのか、人影らしい影はほとんど見当たらなかった。
 それから――大分探したんじゃないかと思われる頃、艦の一番奥、辺りが一望出来る大きな窓が続く通路の片隅に。
 見付けた。真紅の軍服に身を包んだ、紺碧の髪の人物を。何を思っているのか、遠くを見つめるように、けれどどこか穏やかな空気を纏った、彼の姿を。










「キラとの思い出でも聞かせてやろうか?」

 その言葉に、思わず彼の顔を凝視する。
 目を見開いて彼を見つめれば、その端正な顔には微笑みを浮かべていて――けれど気のせいか、その笑みが何と無く嘲笑に近いもののように、カガリには思えた。

「嫌ならいいけど。でも今の俺に話せるのは、キラの事かラクスの事くらいだからな」

 ラクスの話なんて、聞いても面白くないだろう?
 片眉を僅かに上げながらそう言うアスランの顔に。何だろうか、僅かな違和感を感じる。もちろん、普通と言えば普通なのだけれど。少しだけ距離を感じるのは、やはり気のせいだろうか。

「…別に、嫌だとは言ってないじゃないか」

 でもまさか、そんな事。どうして感じる必要がある、自分と彼はいわば戦友なんだから。
 カガリはそう自分に言い聞かせる。大体、彼にとっては何よりも大切な思い出を聞かせてくれると言うのだ。 むしろ少しは心を許してくれたと――大袈裟に言えば、彼に近付けたといってもいいのではないだろうか。

「それにお前がそう言うんだから、聞かせてもらおうかな」

 カガリが了承の返事を返せば、彼は柔らかい笑みを浮かべる。優しい、穏やかな笑みを。

「そうだな…カガリはキラに何か聞いた事はあるのか?」
「聞いた事…そういえばキラの持ってる鳥、アスランが作ったんだろ?大事な友達って言ってたし、その時はアスランの名前は聞かなかったけど」
「ああ、アレな…アレは最初、キラがマイクロユニットの課題で作りたいとか言い出したものなんだ。マイクロユニット、苦手なくせに」
「やっぱり。じゃあ何でアスランが?」
「その時俺がプラントに行く事になって。最後の我侭、聞いてやったんだよ」

 アスランがキラの事を話す時、彼はカガリの知る中で一番優しい表情をする。一番嬉しそうな表情をする。
 カガリはそんなアスランの表情が一番好きだった。その時の表情が多分本当のアスランの顔なんだと、そう思う。
 普段の凛々しい顔もいいけれど、僅かに浮かべる綺麗な笑みもいいけれど。
 やはり歳相応に笑う、その顔が一番いい。

「でもアイツ、そんなに苦手なのか?そのマイクロユニットが」
「苦手って言うより嫌いなんだろうな、ああいう細々した作業が。ああ見えて結構大雑把な性格だし」
「ああ、成程。何となく分かる」
「だけどプログラミングはあいつの方が出来てた」
「好きなモノは得意ですって?アイツらしいな、何か」

 同意するとうに頷けば、アスランは苦笑を返してくる。その様子が、何となくまるで弟が可愛くて仕方がない兄のようだな、とカガリもまた小さく苦笑を漏らした。

「でも何だかんだ言って、ホント、仲良かったんだな。少し羨ましいよ」
「…まぁな」

 不意に向けられていた瞳が窓の外へと向けられて、つられてカガリも外に目を向けた。其所には別段何があるというワケでもなく、ただ2隻の戦艦が鎮座していて、その周りには整備のためのクルーがいるだけ。
 それでもアスランはその光景を見続けていて。凝視するわけでもなく、まるでこの瞬間を忘れないでいようとするように。
いつか返された、ハウメアの護り石――自分でつけるのも虚しくて、結局まだジャケットに入れたまま。
 渡す事は出来ない。きっと彼は受け取ってはくれないから。だから二度と彼の手には渡せないけれど。

「居心地がよすぎたんだろうな…アイツの側は」

 誰よりも死んで欲しくない――そう願うくらいなら構わない…?
 その翠緑の瞳に映る世界は、一体どんな世界なのだろうか。映るモノが同じでも、感じるモノは違う。自分は、少しでも彼と同じ世界を感じられているのだろうか。
 港を見つめるアスランの横顔を、カガリは静かに見つめる。
 近くて遠い――あと一歩の所で何か壁を感じる、その距離がもどかしい。
 近付きたい。
 本当は、彼の事をもっと知りたい。
 知らず切望する自分。このままずっと、こうしていられればいいのに……。







 けれど時が止まるなど、そんな事があるはずがない。
 同じ時間が続くなどと、そんな事があるはずがない。









『トリィ』
「わっ!?」

 突然聞こえてきた機械音――先の会話にあった、キラのマイクロユニットの声に、カガリは思わず驚きの声をあげる。
 噂をすれば何とやら。まさかこの諺は機械にまで通用してしまうのだろうか。飛んで来たロボット鳥は、そのままアスランの差し出した腕に止まり、再び『トリィ』と甲高い声で鳴いた。

「アスラン!こんな所にいたの?」
「キラ、話し合いは終わったのか?」
「まぁね。どちらにせよエターナルがまだ動けないから、あんまり話にはならなかったんだけど」

 そして鳥が来たという事は、もちろんその持ち主もやって来るわけで。
 振り向けば案の定、キラの姿。ラクスは恐らくもう艦に帰ったのだろう、その側には見受けられなかった。
 タンッ――と床を蹴って近付いてくるキラは、特にカガリを気に留めた風もない。それどころか一瞬カガリを一瞥したキラの瞳は――咎められているようで、カガリは居たたまれない気分になった。

「…カガリ」
「えっ!?」

 知らず上擦る声。それに対してかは分からないが、キラが呆れたとばかりに一つ溜め息を漏らした。

「キサカさんが探してる。早く行かないとまた怒られるよ?」
「あっ…いや、しまった!」

 言われて気付く、その事実。確かにキラの言葉通り、ここにはキサカと来たのだから、帰りももちろんキサカと一緒な訳で、自分はその彼を放って来てしまったのだ。後でたっぷりお小言を言われるだろう事が、手に取るように分かる。
 早く行ったら?と、キラの眼差しは言外に告げていて、名残惜しさに一瞬戸惑うも、カガリはそれに頷いた。

「怒られるのは嫌だから、大人しく帰るよ。じゃあまたな、アスラン。キラも」
「え、あ…ああ、また」
「僕はついでですか。まぁいいけど」

 それから、自分を待っていてくれているだろうキサカの元へ行くべく身を翻して。
 最後、振り返った先――アスランがキラと会話を交している姿が目に映った。






「お前、何か怒っているだろう?」
「別にぃ〜?怒ってないけど?」
「…怒ってるじゃないか、それ」
「カガリは相変わらず感情に素直だなぁって思っただけだよ」
「ふぅん…まぁでも、皆お前みたいな奴だと俺が困るし」
「それどういう意味。てゆーか何話してた?」
「ああ、心配してくれたみたいだけど…何か俺が慰めてるような気も…した」
「何それ」
「……さぁ?」
『トリィ!』



 カガリの去った後、そんな会話が交されていたのは彼等だけの秘密である。













別にキラはカガリが嫌いなのではないです。嫌ってるように見えますが。



加筆修正・2007/2/7


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