言葉はいらない、想うだけでいい それだけで救われる心地になるのだ 《胡蝶ノ夢》 15:束の間の休息 溜め息をついたら幸せが逃げる――なんて、そんな事を言ったら自分はもう二度と幸せになんてなれないかもしれない。 「…はぁ…」 口を開けば吐息ばかりで、鬱陶しいとは自身でも自覚しているけれど。 「…ミリィ?」 「…何?」 食事を食べるでもなく、ただ目の前にある料理をフォークでつつきながらどこかぼんやりしているミリアリアを見、彼女の正面に腰かけたサイが怪訝そうに眉を寄せた。 もう何度目になるだろうか。ミリアリアは先程から溜め息ばかりついていて、心ここにあらずな状態。サイのその反応も尤もと言えよう。 「何って…何かあったわけ?」 「…別に…」 「……」 何かありました…なんて、言えるはずがないじゃないか。 心配そうな眼差しを向けてくる友人を横目に、ミリアリアは再度溜め息をついて――ああ、また吐いてしまったと、気付いたのはその後で。 “すまない。付き合わせて…悪かった” 本当は憂鬱の原因などとうの昔に分かっている。けれどその原因が原因だから、余計に困っているのだ。 どうしてもアスランの事を考えてしまう自分。彼の喜怒哀楽、それを知れば知る程自分の中の何かが必死に呼び掛けてくる。 あまり深追いしてはいけない。後で傷付くのは自分だと。 何より彼といるとトールの事を忘れてしまいそうで、それが一番怖かった。 「…サイ…」 「ん?」 「人って、難しいね」 「……」 でも同時に考える事もある。 自分はいつまでトールの幻影に縛られ続けるのだろう。彼はもうこの世にいなくて、だからどんなに想っても見返りは何もない、それはただの一方通行な想いでしかないのに。 それで本当にいいんだろうか? それで本当に幸せになれるのだろうか? 「何にも考えなくて済んだら、楽なのにね…どうして考えちゃうんだろう」 二つの相反する想い。どちらが正しいのか、答えはなくて。 いや、答えがないのではない。見付けなければならないのに、そうする事に臆病になっているのだ。 カタン――そう小さな音を立てて、ミリアリアは手にしていたフォークを置いた。衝撃でグラスの中の水が、ユラユラと揺れる。 その水面を見つめ、まるで自分の心のようだと自嘲したい気分になった。こうやって少しのことですぐに揺れてしまう水面は、まるで少しのことですぐに動揺してしまう自分の心のようだ。 「…考えなかったら」 静かなサイの声に、ミリアリアはゆっくりと視線を上げて、彼の瞳を見つめた。 「確かに楽だけど…けど楽しみもないんじゃないかな?悲しみがあるから些細な事が嬉しく思えるし、辛い事があるから成し遂げた時の喜びがある。考えなかったら、何もない」 「…サイ…」 「何てさ、ちょっとクサイけど。でも…ミリィがさ、何をそんなに思い詰めてるのかは知らないから、考えるなとは言わないけど、でも深く考えすぎるのもどうかと思うよ?」 「…うん」 悲しみがあるから喜びもある――か。 言われた言葉に、ミリアリアは小さく頷き返す。 視線の先のサイの表情は穏やかで優しい。元々他人よりも落ち着いた雰囲気を持つ彼だが、その表情は尚一層彼を“兄”のような存在に思わせ、ミリアリアにはそれがありがたかった。 「あぁ〜、疲れた」 不意に聞こえてきた声に、2人そろって顔を上げる。入り口に、見知った姿。硬直した筋肉をほぐすように自身の肩を揉む彼に、先に声をかけたのはサイの方だった。 「ああ、お疲れディアッカ。整備?」 「ん?まぁな。…隣、いいか?」 「俺の?それともミリィの?」 「え?ああ…どっちでもいい。んじゃお前の隣でいいや」 部屋に入ってきて迷うことなく近付いて来たディアッカに、昔からの友人のように話すサイ。もちろん、ディアッカの方も同じように彼に接する。 そんな二人の姿を見遣り、ミリアリアは再び視線を手元に下ろした。 手の平を見つめ、その手を握り締める。あの人の震えをまだ覚えているこの手は誰のものでもない、間違う事無く自分のモノだ――だから考えるのも答えを出すのも、全部自分。 「はぁ〜…ったく、何だってんだ、あの親父は!整備士のクセにほとんど俺に押し付けやがって」 「マードック曹長はああ見えてまだ若いよ。意外と」 「ああ?んな事ぁどうでもいいんだよ。…でも、ま、他人に弄られるよりは自分でした方が確かに納得はするんだけど」 目の前で言葉を交わす二人の会話には加わらず、ミリアリアは耳を傾けるだけ。今だに違和感を拭えない、二人の姿を視界の端に捕えながら。 「いざ整備の不備で死ぬ事になったら洒落になんねぇし。俺もそんな散り方だけはしたくねぇし」 ――死ぬ…? その時不意にディアッカが口にした言葉に、ミリアリアがピクリと反応する。 死ぬ?彼等も? 彼と…トールと同じように? ――帰って来ない…? 「……でよ…」 「は?」 「死ぬとか…そんなっ…そんな事軽々しく言わないでよ!」 静寂――気が付いたら、身をのりだすようにして叫んでいた。 無意識だったかも知れない。ただまた誰かを失うかもしれないと、考えると同時に胸が潰されるような思いになって。 ディアッカとサイが驚き目を見開く中、言った本人であるミリアリアさえもが驚いたように己の口元を手で覆った。 「…悪ぃ」 「……え…あ…」 謝罪をしたのは、ディアッカ。ミリアリアはといえば、謝罪しなければと思いはしたが、気まずさにただ所在なく視線をさ迷わせるしか出来なかった。 ディアッカだって、多分に冗談のつもりで言ったんだろうに。彼は何も悪くはないのに。けれどもそんな彼が例えば孤独に散っていったらと思うと、どうしてもトールの影が頭をかすめてしまうのだ。いや、正確に言うと、トールの事を考えていたからこそその言葉に過敏に反応してしまったのだろう。 最後に見た彼の笑顔――あの時は、あれが最期だとは思いもしなくて。人の未来など、あっけなく潰えてしまうのだと知った。それは本当に突然に訪れるものだから、もしかしたらディアッカと会話を交わすのはこれが最後になるのかもしれない、もう二度と会話を交わせないのかもしれない、その可能性だってゼロではなくて。 ――嫌だ… 嫌だ。それは嫌だ。 ディアッカだって最初こそ嫌な奴だと思ったけれど、彼が根は優しいんだと気付くのにそう時間はかからなかったし。彼はアークエンジェルを守ってくれていたし。今はまだ素直になれないけれど、決して嫌いな訳ではないのだ。 「…ミリアリア…」 「違っ…違うの…私…っ」 何が違うのか、自分でも分からない。何が言いたいのか、自分でも分からない。 ぐるぐると、今までの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。それはトールとの淡い思い出だったり、泣きたいくらいの想いだったり、人から貰った優しさだったり。 「…ごめん」 一言謝罪の言葉を述べて、ほとんど手のつけていない食事のトレーを手に、ミリアリアは席を立った。 食欲のない時に見る食事は、何て不快感を伴うのだろう。そんな事を思いながら、トレーを所定の棚へと返却する。 「…私、先に行ってるわ。サイはゆっくりしてていいから」 「…ミリィ」 言いながら出入り口へと向かうべく身を翻す。休憩時間はまだあったけれど、何か作業をしている方が気が紛れるような気がして、このままブリッジに向かおうと思った。 けれど――不意に何かに引っ張られるような感覚に襲われて、歩みが止まる。 怪訝に思ったミリアリアが振り返れば他でもない、ディアッカが腕を掴んでいた。 「…死なねぇよ」 「え…?」 「俺は死なないから…もちろん、俺だけじゃなくてキラもアスランも…それと…何だ、あのおっさんも」 「…ディアッカ」 「悪かった、ほんと。軽はずみで言っていい言葉じゃなかった」 だからそんな気にするなって。 手を離したディアッカは、照れた様に頭を軽く掻きながらそう言って。それに思わずディアッカの肩越しにサイを身遣ると、彼もまたディアッカに同意するように苦笑しながら小さく肩をすくめていた。 「…ありがとう」 言葉などただの気休めにしかならないとは分かっている。 けれど彼等の優しさが痛い程胸に染みて、またそれを不思議と素直に受け止めれる自分がいて。 “君がいてくれてよかった” 人は時に誰だって弱気になる時があって、だからそれを人に晒すのは格好悪い事じゃない。それこそ泣いていた彼を――弱さを認めて嘆いている彼を、惨めだなんて思わなかったから。 憂鬱なのは彼のせい。けれど自分に少し素直になれたのも彼のせい。 「大丈夫よ、私…今ちょっと情緒不安定だったから。でももう大丈夫」 怖いのは誰かを失う事か、或いは“彼”を忘れてしまう事か。 その自問に自答する事はせず、ミリアリアは友人二人に微笑んでみせた。 ――私…アスランとちゃんと、話出来るかな…? 前回の接触で、ミリィもアスランをちょっと意識してます。 加筆修正・2007/2/7 BACK / TOP / NEXT |