君の存在は 貴方の存在は 一種の束縛 囚われたのは どちらが先だろう? 《胡蝶ノ夢》 16:築く未来 最初で最後のアークエンジェルからの出撃は、やはりどこか違和感があった。 見える先、永遠に続く宇宙。彼はどんな気分でこの光景を眺めていたのだろう。どんな覚悟でこの場所に立ったのだろう。 友人に銃を向ける罪悪感か。はたまた守らなければならないという義務感か。 『…アスラン』 片隅にある小さなモニターに映る少女に名を呼ばれ、そちらに目を向ける。 すると彼女は一瞬迷ったように眉を寄せ、それから戦場には似つかわしくない笑みを浮かべ、一種のサインのようにグッと親指を立てて見せた。 それは無言の励まし。「頑張って」と口にしなくとも伝わってくる、彼女の言葉。 『ジャスティス発進どうぞ!』 こちらもまた、同じ動作で以てそれに応える。彼女は少し驚いて、それからはにかむように小さく笑った。 眼前に広がる世界に待ち受けているのは希望か、或いは絶望か。それは誰にも分からないし、だから自分達はこうして必死に足掻いて、苦しんで、迷っている。 願わくば、少しでも光ある未来が続きます様に――彼と、彼女と…そして君にも。 「アスラン・ザラ、ジャスティス出る!」 本当は出会う事も話す事もなかったはずの存在。 出会ったのは戦争のおかげ。話したのは犠牲者のおかげ。 皮肉すぎて嫌になる。いつかまた壊れてしまうのではないかと怖くなる。 それでも、君に出会えてよかったと。 感謝の気持ちは何に向けたらいいんだろうか? “僕が傷付けた…!僕が守ってあげなきゃならない人なんだ!” 正直――その言葉に動揺が隠せなかった。 別に3年も離れていたのだ。彼に新しい人間関係が出来ていたって不思議でもないし、それこそ恋人の一人や二人、いたっておかしい事はない。 確かに寂しくはあるけれど、自分に何か言う権利もなければつもりもない。 彼は彼、自分は自分。現に自分にだって元とはいえ婚約者がいたのだから。 「キラっ!」 けれど、けれども。 彼の名前を呼びながら心配そうに顔を歪める彼女――ラクスを、アスランは見ていられなかった。 ごめん、と。彼女を見て彼女でない女に謝る彼など見たくもない。重ねられる彼女があまりにも可哀想だ。 「ラクス、とりあえず部屋に連れて行きましょう。俺は着替えて来ますから、少し待っていてください」 「はい…あの、キラは…キラはどうするんですか?」 「ああ…そうですね、とりあえず彼の着替えも持って来ますから」 「…分かりました」 どうして彼女はこんな時も笑おうとするのだろう。瞳は泣きそうな程辛そうなのに、口元にだけ僅かに笑みを浮かべて。 着替えるという口実があるのは何とも有難い。これ以上彼女といると、息苦しくて胸が潰れそうだ。 慣性の流れに従って、アスランは一先ず部屋を後にした。扉が閉まる寸前、思わず振り返った自らの視界に映ったのは、キラの髪を優しげに梳くラクスの姿だった。 ――キラは… キラはラクスが好きだったんじゃないんだろうか。それならばあの声の主は何者なのだろうか。 “フレイッ!!” 彼のあんな声は初めて聞いた。あんな風に誰かを求める声なんて初めて聞いた。 「…っ」 悔しい。 彼に何も言えない自分に腹が立つ。 こんな事になるなら自分が“アレ”を助けていればよかった。 「くそっ…!」 気慣れている筈の軍服も酷く鬱陶しく思えたけれど、ラクスを待たせるわけにもいかないと、急いで袖を通すと、キラの軍服を片手に彼女の元へと足を向ける。 扉が開く音に顔を上げたラクスの顔は、相変わらず複雑な笑みを浮かべたままだった。 「アスラン…」 ラクスにキラの服を手渡して、アスランはキラの肩に手を回す。そして彼の腕を自分の肩に回させて、支えるようにしてゆっくりと立ち上がらせた。 とにもかくにもここが無重力下でよかったと――もし重力があったのなら抱き上げねばならなくなる。それはさすがに辛いだろうし、何より男が男を抱き上げるのは、いくら親友、いくら緊急事態といえど遠慮したい。 隣でラクスが服を抱き締めながら、キラがずり落ちないように支えてくれる。そんな些細な動作にさえ、彼女の想いが伝わってくるようで、正直見ていて辛かった。 「…アークエンジェルに」 「え?」 「アークエンジェルに行って来てもいいですか?俺は…キラだけじゃなくて彼等の事も、もっと知りたい…ていうか、知らなければいけない、と思う」 「…アスラン」 「ほんの少しでいいんです。ですから…」 言いながら、アスランの脳裏に一番に浮かんだのは他でもない、ミリアリア。 もちろん、話した事もない、もう一人の少年とも一度話してみたいとは思ったけれど、けれど一番話をしたいと思ったのは彼女だった。彼女の姿しか思い浮かべなかった。 何故だろうか?無意識に…どうして? 「そうですね…当分戦闘はないでしょうし、アスランがそうしたいのなら私は構いませんわ」 居心地がいいだけなのかもしれない。一度醜態を晒した今では、彼女が気兼ねなく接する事が出来る、唯一の存在のように思ったのかもしれない。 それはつまり、結局は嫌な物から逃げているだけなのかもしれないけれど。 会いたいと、声が聞きたいと――これ程までに他人を欲したのは、母親とキラ以外には多分、これが最初だから。 「ラク…」 「でも…」 部屋に着き、ラクスが扉を開きながら言葉を濁す。その時初めて、アスランは彼女の弱気な瞳を見た。いつも真っ直ぐに先を見つめていた瞳が、優しい光を称えていた瞳が、不安気に揺れる様を、アスランは初めてその目にした。 「…キラが目を覚ますまでは…側に」 それはキラの?それとも貴女の? 問えるわけが無い、ただアスランは承諾の意を示すしか出来ない。ああ何ともどかしい事か。 「…分かりました」 「…ありがとうございます」 私、アークエンジェルの方に連絡を入れて来ますわ。言いながら浮かべたラクスの笑みは、今にも壊れてしまいそうだった。 踵を返して去っていくラクスを見送り、アスランはとりあえず部屋のベッドにキラを下ろす。それから少し戸惑いつつも、彼が着ているモノに手をかけた。さすがにパイロットスーツのまま寝かせるのもどうかと思うし、だからと言ってラクスにやらせるのもどうかと思う。 結果、自分しかする人間はいなくて、思わず小さく溜め息をついてしまった。そういえばキラの服はラクスが持って行ってしまったか――どちらにせよ、さすがにそこまで面倒は見られないけれど。 シーツをかけて、眠るキラの顔を見遣る。あれ程辛そうだった表情も、時折しかめられるだけで、今は以前と同じくあどけないものだった。 「……ん…」 「キラ?」 「ごめっ…ごめんなさ…っ」 「……っ」 うわ言のように呟いた彼の謝罪は誰に対してのものだろう。 今まで奪ってきた命に対して?今の仲間に対して?それとも…“フレイ”に対して? しばらくして戻ってきたラクスの手には、キラの服と共に写真立てが一つ、握られていて――それは例の双子の写真だった。整備士の人に手渡されたのだと、ラクスは言う。 「…キラ…」 ラクスから荷物を受け取って、アスランは彼女に場所を譲った。彼女の為に、それからキラの為に。ラクスから受け取った写真は、迷ったけれど、結局入り口に近い棚の上に置いた。 心配そうなラクスの後ろ姿を見つめ、やるせない気分になる。 誰よりも一番幸せになって欲しい二人なのに――背負うモノが大きすぎる二人は、なかなかそれを掴む事が出来ない。 小さく唸り声を上げてキラが目を覚まして、それにラクスが素早く反応する。そんな二人を見ていられなくて、アスランは静かに部屋を後にした。 キラが目覚めるまでと言った、そのラクスの言葉を言い訳にして。 「アスラン!」 「…カガリ」 直後、聞き慣れた声に呼ばれ、アスランがそちらに視線を向ければ、クサナギからわざわざやってきたらしいカガリがこちらにやって来る所だった。大声で名を呼ぶ彼女と対照的に、アスランは些か疲れた声で彼女に応えた。 それに気付いているのかいないのか、側に来た彼女は、先程アスランが退室した部屋の扉を見つめ、 「…キラは?」 「今気が付いた所だ…けど…」 「けど?」 何かあるのか? そう問いたげな瞳で、カガリが怪訝そうに顔をしかめる。 アスランはそれに小さく首を横に振ると、言葉を続けた。 「今はちょっと待ってやってくれないか?何だかアイツ…アイツ等、ぼろぼろだ。しばらく二人にしてやりたいんだ…」 「アス…」 「頼む…」 「…分かった」 少しでも――例え傷は消えなくとも、癒す事は可能だから。 二人の想いは誰より自分が知っている。彼らは一人ではない、支えてくれる人がいる。 自分がいなくても、大丈夫だと思いたい。 「…アスラン?お前…どこに行くんだ?」 「…大天使。大丈夫さ、すぐ戻る」 「…でも…ちょっ!」 この気持ちをもし“恋”と呼ぶのなら。 本当は出会う事も話す事もなかったはずの存在。 出会ったのは戦争のおかげ。話したのは犠牲者のおかげ。 皮肉すぎて嫌になる。いつかまた壊れてしまうのではないかと怖くなる。 それでも、君に出会えてよかったと。 感謝の気持ちは何に向けたらいいんだろうか? アスランはやっぱりフレイの事を知っておくべきだと思ったので。 そのせいでカガリがないがしろです。 加筆修正・2007/2/7 BACK / TOP / NEXT |