いつも悲しんで いつも遠くを見て そんな貴方を 私は想う 《胡蝶ノ夢》 19:消えた日々 半舷休息――本来なら、左舷の自分はまだブリッジでの勤務をしている筈だった。 けれどどういう訳か今は居住区の食堂にいて、そして自分の視線の先には一人の少年がいて。 項垂れるように頭を抱えて、遠くを見つめるような瞳で呆然としている彼――ディアッカ・エルスマン。その普段とは違う空気に戸惑って、思わず小さく息を呑んだ。 「……お前…」 「…どうしたの?らしくないじゃない」 いつもどこか余裕な表情を浮かべているのに。今は以前のアスランみたい。 一人にしてあげるべきだったかもしれない。そう後悔もしたけれど、一度口にしてしまった言葉は取り消せない。故に仕方なく、ミリアリアは中へ足を踏み入れると、そのままディアッカの側を通り抜け、喉を潤すために水を注ぐ。 コポコポと音を立て、溜っていく水。チラリと視線だけをディアッカに向け、「貴方は?」と訪ねれば、彼は薄く笑みを浮かべながら小さく頷いた。 「……サンキュ」 「どういたしまして」 ディアッカの前にグラスを一つ置いて、近くの壁に凭れかかる。 何と無く正面には座れなかった。彼の顔を正面から見つめなければならない、その席には座りたくなかった。 入れたばかりの水に口をつけて。その冷たさが、心地いい。 「今、休み?」 「まぁね。本当は違うんだけど…無理言って代わって貰った」 「は?何で?」 「……今は…集中出来ないから、かな?気が散っちゃって、どうにも…」 「…そっか」 何で、とはディアッカは追求して来ない。それがただ興味がないからか、気を遣ってくれたからか。或いは何と無く理由が分かったからなのかどうかは分からないが、ミリアリアにとっては非常に有り難く思う。 “マリューさんっ…サイッ!” 思い出すと、少し胸が痛い。 何でフレイがザフトの捕虜なんだろう。彼女はアラスカで転属したんじゃなかったんだろうか。そう思っても答えなどある筈もなく、ただ昔の事ばかりが思い出される。 “あっ、ミリアリア” 可愛かった。誰よりも可愛くて、我儘だけど素直で、誰もが彼女に憧れて。 “パパの艦を撃ったらこの子を殺すって、アイツ等に言って!” “あんた…自分がコーディネイターだからって、本気で戦ってないんでしょう!” “パパを返してっ!” 彼女も戦争の被害者の一人で。 “コーディネイターなんて皆死んじゃえばいいのよ!” それでも今は、あのサイクロプスの悲劇から逃れ、何処か遠い場所で無事に生きていると思っていた。 そしていつか戦争が終わったら、また何処かで笑い合えたらいい、と。 それがよりにもよって――酷すぎる。こんな再会、酷すぎる。 “…フレイ?” あの戦闘中、背中合わせのサイが小さく彼女の名前を呟くのが聞こえた。それがとても辛くて、もどかしくて、遣る瀬無くて。 「…何かさ」 「え?」 「後味、悪かったよな。色々と…」 「…うん」 サイはまだフレイが好きなんだろうか。キラとフレイとサイと――そこら辺の事情は自分にはよく分からないけれど。 「でも仕方ないわよ…それが私達の選んだ道なんだもの…」 「…だよな。今更後戻りは出来ない、か」 ディアッカの目が遠くを見つめるように細められ、その顔が僅かに苦渋に歪められる。 彼が思い詰めているのはやはりザフトの事だろうか。艦長であるマリューは相手をクルーゼ隊だと言っていたけれど、それはつまりディアッカとアスランの以前の部隊と言う事になる。 宙域離脱の為、撃沈せざるを得なかったザフト艦。アレを見た時、二人は一体どんな気持ちだったんだろう。自分達がドミニオンを撃つ気持ちと同じなのだろうか。 「…貴方は…後戻りしたいの?」 「…どうだか。此処にいる事は後悔してねぇけど、やっぱり俺には同胞は撃てねぇって思った」 「同胞…ザフト?」 「ああ…。今までずっと地球軍ばかりが相手だったから気が付かなかったけど。いざ対峙した時思ったよ」 「……」 言いながら、ディアッカは己の手をジッと見つめた。そんな彼にかける言葉を、ミリアリアには残念ながら持ちあわせていない。 大丈夫なんて、自分には保障出来ない。いつか分かってくれる…なんて白々しい事この上ない。慰めなんて、ただの安っぽい労いだ。 きっと… “切り捨てられて、あまつさえ仲間殺されて…あの人、どんな気持だったんだろう” きっともし彼に言葉をかけられる人間がいるとしたなら、それはアスランかキラぐらいしかいないと思う。 友達同士、銃を向け合って。 その辛さを理解しているからこそ、彼等ならディアッカのための言葉を持ち合わせているだろうし、例えそれが先のような他人行儀で白々しい言葉でも、不思議と信じられるような気がした。 “…分かってるよって、言っても慰めにしかならないからさ、私には何も言えないけど” そう、だから自分には何も言えない。 分かってるよ、そう言ったとしても何が分かっているというのだろう。 辛さ? 悲しみ? そんなの、ただ分かったつもりでいるだけだ。所詮人の気持ちなど、同じ境遇に遭った人にしか分からない。 同じ立場で苦しんだ人にしか、理解など出来やしない。 「……」 「……」 沈黙が訪れる。 互いにかける言葉が見付からず、視線をそらして、この重苦しい空気に耐えて。 この場を去るという選択肢もなくはないが、無理に割り込んだ自分がそうするのは、今は何だか憚られた。 「…なぁ」 「何?」 「アスランって…アイツ等って、もうエターナルに行ったのか?」 「……うん」 何で自分はこんなに寂しく思ってるんだろうか。 ディアッカの問いに小さく頷いて、手の内にあるグラスを強く握り締める。 別に会えなくなったわけじゃないのに。 それでももう、以前のように出会う事はないんだと思うと何だか切なかった。 もちろん、アスランだけじゃなくて、キラも――この艦に乗った時からずっと一緒だったから、キラがいないと何だか物足りない。まるで以前の喪失感に似た思いを抱いてしまう。 気が付いたら、カレッジから一緒だった当初の六人は五人になって、四人になって、三人になって…今はサイと自分の二人きり。それが無性に悲しくて、昔が懐かしくて、胸が痛かった。 トールはもういないけど。他の皆は生きているけど。 「…ディアッカ」 「ん?」 「……何でもない」 新しい関係もまた、生まれた。 もし叶うなら、昔の関係も今の関係も、ずっと続けばいいと。 フレイやカズイと、また会いたいと思う。アスランやディアッカと、ずっと会えたらいいと思う。そして昔の友人達と今の友人達が、一緒に笑ってくれたなら、きっとそれは凄く幸せだと思う。 コーディネイターもナチュラルもない、そんな関係が築ければいいのに。そんな世界が来ればいいのに。 「…変な奴」 「貴方もね」 「……」 クイッと水を飲み干して、空になったグラスを意味もなく見つめる。 ずっと握り締めていたせいか、水は少し温くなっていたけれど。 「あ……」 不意に第三者の声が聞こえ、ミリアリアとディアッカは同時に顔を上げた。 その視線の先――入り口で、サイが僅かに驚いたような困惑したような表情で立っていて、その後ろにはアスランが立っていて。 その彼の顔見た瞬間、奇妙な感覚が胸を満たしていって。 「……あ…サイ…に、アスラン?」 「…ミリィに…ディアッカ?」 どうしたの?…と。 発した声は、何に対して問うたものなのだろう。 彼等が二人でいる事に?此処に来た事に? それとも、彼が此処にいる事に? 一波乱あります。 加筆修正・2007/2/9 BACK / TOP / NEXT |