だけど僕等は 償う事を まだ知らない






《胡蝶ノ夢》

2:母国への凱旋






“君は…トールを殺した”

 その言葉は思っていたよりも、衝撃的な言葉であった。
 ある程度の覚悟はしていたのだ。仕方のない事だと、この想いは封じてしまおうと、必死で思い込もうとしていたのだ。
 憎むことも恨むことも簡単だけれど、だからと言ってトールは還って来ない。惨めになるのはむしろ自分で、虚しくなるのも自分で。

「アイツは…悪い奴じゃない」

 それでもどうしても居た堪れなくて、逃げるように駆け出した先、追い掛けて来たディアッカにそう言わた。彼は“彼”を庇うように、それでもこちらを精一杯気遣うように、けれどもそのぶっきらぼうな優しさは逆にミリアリアを傷付けた。
 これではまるで、自分が悪者みたいじゃないか。他の皆は彼を受け入れたのに、自分一人が頑固に抵抗しているみたいじゃないか。

「分かってるわよ、そんな事…」

 故に。再びディアッカを振り解いたミリアリアは、一人。オーブのモルゲンレーテの格納庫、点在する多くの荷材の一つの陰に腰を下ろし、小さく溜め息をついた。
 混乱する頭を抱えるように、その前髪をクシャリと掻き上げる。思い浮かぶのは“彼”の切なそうな横顔だ。
 悪い人じゃない事くらい、一目で分かるし、それ以前にキラの友達が悪い人であるはずがないのは、何よりキラの友達であった自分がよく理解している。
 それに――彼も、迷ってるのかもしれない。自分の道が正しいのか、不安なのかもしれない。その気持ちは自分も味わったものだから、彼にもきちんと自分と向き合って欲しいと思うのだ。

「…アスラン・ザラ…か」

 今なら以前、キラが言っていた台詞の意味が分かるような気がする。

“じゃあ例えば僕がトールを殺したとしたら、僕が憎い?”

 その存在とその名だけなら、いくらでも憎みも恨みも出来るだろう。けれどもその人がどんな人でどんな想いを抱いているのか理解してしまえば――その人がもし、憎むに値しない人であったならば、それは果たして可能なのだろうか。
 キラは恐らく彼を憎んではいまい。それこそ最初はどうだったか分からないが、けれども今の2人を見れば、アスランはともかくキラは友人を殺した彼を受け入れている。それはキラがアスランを憎むに値しない人物だと理解しているからに他ならない。

「……私は…」

 自分は彼を知らなかった。それ以前に、トールがどういう状況で彼に殺されたのかも知らない。


――何も知らない。


 憎んでいいのか、いけないのか。
 その判断材料すら自分は持ち合わせていないではないか。

「…っ」

 込み上げてくる涙が、亡くなった恋人に対してか、己の無力さに対してか――そのどちらなのか自身にも分からないが、 ただ言える事はと言えば、無知な自分が酷く情けないという事だった。

「…ミリィ」
「…サイ」

 嗚咽を噛み締め、溢れる涙をどうにか飲み込もうとして。突然、背後からかけられた声に――もう一人の友人、サイ・アーガイルが近くにある荷材の側から心配気にこちらの様子を覗いていたのに気が付いた。
 恥ずかしい。泣いていた事よりも、心の葛藤を見られた事の方が恥ずかしい。
 そんな羞恥で僅かに頬を赤く染めるミリアリアをよそに、どこか遠慮したように僅かに視線を泳がせた彼は、隣を指差しながら「座って良い?」と、そう告げてくる。
 断る理由もない、せっかく心配してくれたらしい彼の気遣いを無駄には出来なくて、ミリアリアはそれに小さく首を縦に振ると、了承の返事を返した。

「…泣いてた?」
「……っ」
「…まぁ、仕方ないよな。ツラいに決まってるよ、ミリィには」
「……」
「トールが…まさかキラの親友に殺されただなんて…俺も…ちょっとビックリしたし」

 座るなり淡々と語り始めるサイを、ミリアリアは止める事もせず、ただ黙って耳を傾けるだけ。
 サイが言わんとしている事は、何となく分かる。彼はキラと同じ事を言おうとしているに違いない。
 もちろん、それを否定する気はなかったが、今だ戸惑う自分がいるのも確かだった。

「…でもさ、そんな相手とキラを戦わせていたのは俺達なんだよな」
「……え?」

 しかしてっきりアスランの事を擁護する言葉を吐くのだと思っていたミリアリアは、サイの意外な言葉に驚きに目を丸くした。
 サイはアスランの話でなく、キラの話を始めたのだ。
 その時のミリアリアは当然の事ながらアスランの事に関して身構えていたのだから、キラの名前を出されても瞬時に頭を切り替える事が出来ず、サイの意図を瞬時に読むことが出来なかった。

「だからさ…俺達、今までキラにツラい思いさせて来たじゃないか…けど…」
「…けど?」
「アスランさんは…どうなんだろう、って思って」

 そしてようやく、理解する。
 キラとアスランの関係――そう言えばその事に関しては一片も考えていなかったのだと、今になってようやく思い至り、そして心臓を鷲掴みされた気分になった。
 脳裏にキラと、キラの横で不安気に瞳を揺らすアスランの姿がよぎる。刃を交え、銃を向け合うストライクとイージスの姿がよぎる。
 自分の事のように、辛くなった。

「アイツ…いつだってザフトに行けたのにさ、ずっと俺達の側にいて…絶対向こうだって手を差しのべていただろうに」
「…私達のために…」
「だろ?イージスのパイロットと友達だってのは知ってたけどさ。よく考えたら残酷な事、させてたよな」
「……」
「友達だったら…本当は、止めてやるべきだったんだよな、俺達」

“僕は君の仲間を殺した…”

「戦って、あまつさえ仲間殺されて…あの人、どんな気持だったんだろう」

“…君は”

「…友達だから、キラが俺達を見捨てるはずがないって。実際そうだったけどさ…俺は、そんなキラの優しさにつけこんで、キラと…アスランさんに辛い思いをさせた」

“君は…トールを殺した”

 自分にトールへの特別な想いがあるように、彼等にもまた、大切な思い出があるのだろう。それはきっと、他人に語り尽せないほどの。楽しかったり悲しかったり、色んな思い出があるのだろう。
 けれどもそんな想いを封じ込め、他人の価値観を押し付けられて――皮肉にも相反する立場になってしまった二人は。
 自分達にはない、自分達には理解出来ない、そんな辛さを背負って来たに違いない。誰にも理解出来ないような辛さと、そして不安を抱いて来たに違いない。

「……ミリィ?」
「…え?」

 どうやら心ここにあらず、な状態だったらしい。サイの呼び掛けに弾かれたように意識を戻したミリアリアは、一瞬、自分が何をしていたのか、何処にいるのか、分からなかった。もちろん、すぐに思い出したのだが。
 そんな自分を怪訝そうに眉を寄せ、心配してくれているサイの顔。そしてふと、不意にディアッカの顔を思い浮かべる。
 彼もアスランの事を知った直後には、何故か自分の事を心配したような顔で見つめてきていたが、そういえばアスランと同僚だったという彼でさえ2人の関係を知らなかったのではなかったか。ならばアスランも、誰にも相談せずに一人で悩み苦しんでいたという事なのだろうか。

「…でも…あの人がトールを殺した事には…変わらないわ…」

 ポツリと漏らした呟きは、まるで負け惜しみのようだと思う。相手を非難する台詞を言っていて、その実相手を誹謗する響きがないのだから、何と力のない言葉なのだろう。

「…まぁ、ね。でも俺達も間接的にしろ沢山殺してきたから…人のこと言えないよな」
「…それ…は確かにそうだけど」

 そう言って苦笑を浮かべるサイが、何故だか急に遠い存在になった気がした。サイだけじゃない、キラもディアッカも――彼等はもう、己の中で答えを出している。今までの事を全て清算して、そしてこれからの事を考えている。
 自分はどうなのだろう。どうしたいのだろう。どうすればいいのだろう。

「…さて、じゃあそろそろ俺は戻るよ」
「…サイ」
「まだ、ね。異動したから慣れてなくて。いつ何が起こるか分からないから、少しでも慣れておきたいし」
「そっか…」

 だけど自分だって、この悲惨な戦いを終らせたいと 心底願っている。その気持ちだけは、彼等と変わらない筈だ。

“あの人を殺したらトールが還ってくるの!?違うでしょう!?”

 自分で言った言葉。自分で自分に言い聞かせるために言った言葉。
 それはアスランへの憎しみを、自分の内に封じ込めるための――。

「…っサイ!」

 憎みたくなかったから。そんな醜い自分は嫌だったから。
 去り行く友人の背に、声をかける。振り返った彼に向かって、ミリアリアは精一杯の気持ちを伝える。

「…ありがと!」

 憎んでいいのかいけないのかは、分からない。けれど少なくとも、他人を憎みたくはない。憎みたくないのなら、憎まなくていいようにすればいい。憎まないようにするには、まず相手を理解しようとすればいい。
 そんな簡単な答えにようやく行き着いて、ミリアリアは少しだけ胸の内が晴れたような気がした。


――とりあえず…


 後でディアッカに礼でも言いに行くとしよう。心配してくれてアリガトウと。



 そしていつか“彼”に言うのだ。

 気付かせてくれて、アリガトウ。
 大切な事に気付かせてくれて、アリガトウ。













サイが賢者のようです。しかもアスラン名前だけでまた出てないし。


加筆修正・2006/12/12


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