掲げるのは大義

貫くのは信念




望むのは平和






《胡蝶ノ夢》

3:無知の罪






 因縁の艦・アークエンジェル。
 よもや自分がこの場所に立つ事になるとは、過去の自分からすれば当然信じられないだろう。現に今だって違和感は拭いきれない。正に人生何が起こるか分からないと。改めて思い知った気がする。
 そんな事を考えながら、アスランはただぼんやりと星の海を眺めていた。ちなみに場所はアークエンジェルの展望エリア――さすがに食堂等にはまだ足が向かなくて、キラのいない一人の今、知らず人気のない場所を求めてしまったのは仕方のない事だった。
 オーブから宇宙に上がって、それから一旦クサナギを経由して。目紛しい環境変化の中、久しぶりの静かな時間。色々な事に思いを巡らせ、思い浮かべたのはまず父の顔。
 父と話がしたい。だからプラントに帰ろうと決意した。だからキラにシャトルの手配を頼んでもらった。
 それはもしかすると甘えなのかも知れない。それでも唯一の肉親である父を、まだどこかで信じていたいと思う気持は、誰が何と言おうとも譲れなかった。
 親を信じる事は、子供として当然の行為だ。

“お父様ぁっ!”

 現に彼女も父を信じ、そして失った悲しみに慟哭した。
 そんな彼女の姿を見、自分と父もあのような関係であったのならよかったのにと少しだけ羨ましさが募ったのは、ここだけの話だ。

「コーディネイターこそ全て…か」

 父の言葉を呟いてみる。けれども本当にそれでいいんだろうかと思う。正しいのかと思う。確かに先に討ってきたのはナチュラルだが――少なくとも、今この艦にいる人間は悪い人ではないと感じるのだ。
 知っている人間は少ないが、それでも敬遠こそあれ、あからさまな敵意は向けられていないのは、軍人である自分が一番よく分かっている。
 そして――ナチュラルの事を思えば、次に浮かぶのはキラと、それから名も知らぬ一人の少女の後ろ姿。

“僕は君の仲間を殺した…”

 キラはそう言った。

「けどキラはニコルを知らない…」

 そしてキラはこう言った。

「俺は“トール”を殺した…か」

 そこまで口にして、あの少女の叫びが頭の中で木霊する。

“あの人を殺したらトールが還って来るの!?違うでしょう!?”

 彼女の後を、追い掛けていったのはあの同僚だったディアッカ・エルスマン。
 あの姿を見た時は正直、自分の目を疑った。生きていた、という思いと、彼が地球軍の少女に気をかけているという事実。ディアッカはどちらかというと強攻派であったから、その変化に戸惑う自分は可笑しくは無いはずだ。

「それにしても“トール”って…誰だよ」

 そこまで考えて、ふと自嘲の笑みが漏れる。
 実を言えば、キラの言う“トール”を、いつ、どこで殺したのか今だ分かっていない。恐らくその人物がキラと懇意なのだろう事は推測は出来たが、だからと言ってあの時聞き返す事も後に聞き出す事も出来ない。
 けれども、どちらにせよ彼には聞かない方がいいと――自分のためにも、彼のためにも。その方がいいと、何と無くそう思った。
 軍人である自分はまだ経験も覚悟もあるから、もし彼等にニコルの事を聞かれたら、もちろん教えてやるつもりだ。それでキラが償うと言うのなら、キラには自覚はないだろうミゲルの事だって教えても構わない。
 けれど彼は違う。彼は元々民間人で、仲間の死に敏感だろうし慣れてもいないだろうから。自分だって本当は仲間の死に鈍感な訳でも、ましてや慣れている訳でもないけれど。

「ソイツが死んだのも自分のせいだ…とか思うんだろうな」

 伊達に親友をやっていたわけではない。相手の感情くらい、すぐに分かる。

「キラのせいなんかじゃないわ」

 容易に想像できるキラの顔に、アスランは知らず笑みを漏らし。
 しかしその直後、自分の独り言に応えるような声が聞こえ、

「キラのせいじゃない…戦争で散った命を、誰かのせいになんて出来ないのよ」

 いつの間に。そんな驚きより先、その気配に気付かなかった自分に情けなくなった。
 声の主の少女は――髪型や服の色から、多分ディアッカが追っていた少女。
 自分にあの台詞を焼き付けた、あの少女。

「探したの。来てるって聞いたのにどこにもいないから…」

 彼女はそう言いながら体に軽く反動をつけ側までやって来ると、視線をそのまま窓の外へと向けた。
 どう返すべきか分からないアスランは、そんな少女の横顔を呆然と見つめるだけ。
 そもそも元から人付き合いが苦手なアスランにとって“女の子”とは更に扱いに困る対象だ。
 故に困惑は倍増、ましてや先程まで思考の中にいた相手だ。

「話…どうしても聞いておきたい事があって。嫌ならいいわ」
「…話?」
「そう…話」

 無表情のまま言葉を紡ぐ彼女。口調も同じく淡々としたモノだ。
 あの時のような、激情の中の言葉とは違う。落ち着いた声、態度。

「トールの」
「…俺が殺した?」
「…そう。彼を…貴方は、知っているのか聞きたくて」

 不意に、宇宙に向けていた瞳がこちらに向けられる。
 じっと、見透かす様な瞳だった。
 ラクス・クラインの瞳に似ているような――同時、劇場で会った時の元婚約者を思い出す。
 あの時、信じて戦うモノは何かを問うてきたのは彼女で。
 彼女の言うように、自分の信じているモノは勲章でも父の命令でもない。そして敢えて何かと問われれば、それは自分だと答えるだろう。

「…いや、知らない」
「……」

 言った瞬間、少女の眉が僅かに寄せられる。
 その様子に、アスランは慌ててその先を続けた。別に言い繕うつもりはなかったが、誤解はして欲しくなかった。

「もちろん、倒した事を忘れている訳じゃないんだ。ただ、乗っている相手までは…さすがに」
「…そう…そうよね」

 答えた言葉は、嘘ではなかった。
 事実、いちいち相手の名前や素性など、敵対していれば自分にとっては関係ないものだ。知る手段がない事もないが、そもそも知る必要がないのだから調べる筈もない。
 それでも改めて口にすれば、それが残酷な事のような気がしてならないのは。今までの感覚がおかしかったからか、今が感傷的すぎるからか。
 アスランの言葉に、少女は再び視線を窓の外へと向けた。つられてアスランもまた、漆黒の世界へと目を向ける。

「…トールは…私の恋人だったのよ」
「……」
「本当は艦の副操舵士をやってたの。けどパイロットに志願して…貴方がキラを殺そうとした時、スカイグラスパーで出ていったきりそれきりよ…」

 言われて記憶を辿れば、恐らくニコルを殺された後――確かに、介入してきた戦闘機を一機、撃墜した覚えがあった。
 あの時は激情していて半ば勢いのようなものだったが、キラとの戦闘で他に介入される事など今まで無いに等しかったから、良く覚えている。

「ああ…俺がイージスで…確かに」
「そう…それは覚えててくれたのね」
「…それで。君は俺に謝れとでも言うのか?」
「さぁ…ここで頷けば貴方は謝ってくれるの?」
「……」

 しばしの沈黙。
 それからアスランは彼女の言う通り謝罪をするべく口を開き…しかしすぐに閉口した。
 今ここで謝罪を口にしたとして、果たしてそれが自分の本心からなのか。自身ですら疑わしいと思った。
 恋人だと聞いて、確かに罪悪感は抱きはした。しかし心底悪いとは――軽率かもしれないが、思う事が出来ない。

「…いや」

 それに…と、アスランは思う。
 あの時はあの時なりに抱いていた大義を、信じていた忠義を、今ここで謝罪すれば否定する事になる。
 それは軍に志願した、あの時の平和を願う心すら否定してしまう事で。犠牲になった命を、無駄だったと言っているような気がしたのだ。

「それは絶対、死んでも出来ないな」
「…どうして?」
「例えばもし君に謝ったとして、なら俺はあと何人謝ればいい?」
「……」

 今まで何人殺してきた?
 その人達には彼女のように、きっと大切な人が居たのだろう。家族だったり友達だったり恋人だったり、その関係は様々で、けれどもかけがえのない存在が居たのだろう。
 もしここで彼女に謝罪するというのなら、自分はそのかけがえのない人達全てに謝らなければならなくなる。謝って謝って、その内自分で自分の罪悪感に押しつぶされてしまうに違いない。

「俺は…俺のやって来た事や信じていた事を…否定したくないから…」
「……」

 泣くのかと思った。顔を伏せて表情が見えないから、ひょっとして泣かせてしまったのかと思った――だからと言って、今更嘘偽りの言葉など、言う気もしないけれど。
 しかし次の瞬間、顔を上げた彼女の顔は。

「…そっか」

 アスランに向けて、初めて笑顔を浮かべた。
 儚い、本当に僅かな笑みだったけれど、確かにそれは笑顔と言えるモノだった。意外なその反応に、向けられた自分の方が呆気にとられてしまう。

「…私…私達、ずっとアークエンジェルにいたけど。ずっとブリッジにいたから…戦ってても間接的で、戦争してるって感覚も意識も薄くて。こんな事言うのはいけないと思うけど…トールがいなくなって初めてそれに気付く事が出来た。私達も人を殺してたんだって、それで悲しむ人がいるんだって。気付けたのは…貴方のおかげ」

 そして今だ呆然としているアスランに右手を差し出し、言った。「私達は、もう仲間でしょう」と。
 その彼女の言葉が、純粋に嬉しかった。差し出された手を握り返し、胸が詰まりそうな思いになる。

「…ミリアリア・ハウよ。ミリィって呼んでくれて構わないわ」
「アスラン。アスラン・ザラ。…俺からも、ありがとう」
「…どういたしまして…アスラン」

 握った手かた伝わる体温に、人の暖かさを感じた。人は歩み寄れるば解り合えるのだと、知った。

「でも忘れないで…貴方が殺した人の事。…トールの事…」
「…ああ」


 彼女の優しい声色が、不安定な自分の心には凄く心地良かった。













「あと何人謝ればいい」は、Wガンダムの「俺はあと何回あの子を殺せばいい」というヒイロの台詞より。
前回のミリィの葛藤があって、今回彼女はアスランと会話しようと一歩踏み出しました。


加筆修正・2006/12/12


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