戦争が、終わった。






《胡蝶ノ夢》

29:彼等の明日






 一年あまり続いたナチュラルとコーディネーターの争いに終止符が打たれて、早数日。今だ夢を見ているのだろうかと、思う時がある。
 だけどもそれは紛れもない事実であって、頬を抓れば勿論痛みを伴うし、水を被ってもただただ冷たいだけで、どちらの行為もただ現実である事を告げるだけだ。


 嬉しい事であった。喜ばしい事であった。
 それでも、同時に沢山のものを失って。


 正直に言えば、奇妙な心地だった。


 落ち着かない、とも言える。今までが今までであったから、尚更現状に戸惑いを覚えるのだ。
 何もする事がない。
 そんな贅沢すぎる現状が。そう感じてしまう自分自身が。
 どうせならば、何も考える隙がない程に忙しかったのならばよかったのに。そう不服を漏らしたとて、何かが変わる訳でもない。


 所詮、自分は単なる下っ端であって。
 所詮、自分は単なる子供であって。


 ここから先は大人の仕事だ、と言っていたのは、艦の操舵を任されていた元連合士官の男であったか。子供扱いしないで欲しいと反抗出来る程、もう世間知らずではないつもりだ。



「ミリィ」

 そんな自分の名を呼ぶ声に、ミリアリアは食事をつついていた手を止めて、ゆっくりと視線を上げた。それが誰のものであるかなど、考える必要もない。
 視線の先の人物に、遅かったね、と笑みを向ければ、ちょっとね、と苦笑混じりに返される。食事の載ったトレーを手にした彼は断りもなくミリアリアの正面に腰を下ろすと、フォークを握るよりも先に水の入ったグラスを手に取った。

「キラがさ、また逃げちゃって…仕方ないからシャワールームの掃除をしてきたんだ」
「またぁ?そうやって甘やかすから逃げるんじゃないの?一回、汚いままで使わせるべきよ、キラには」
「そうは言うけど、キラ、士官室使ってるんだから意味ないよ…部屋についてるんだから。むしろ汚いまま使わなきゃいけないのは俺達なんだぞ」
「そ、そっか…ごめん、サイ」

 サイは水を半分程飲んだ所でようやくグラスをテーブルの上に置いて、それから小さく溜息を漏らす。呆れとも諦めともとれるその吐息に、ミリアリアはこっそりと苦笑を漏らした。
 せめて明日は手伝ってあげてね、とここにはいない友人に願いを込める反面、明日も無理なんだろうなぁと他人事のように思う。けれども、こんな些細な事であったとしても、キラがキラらしく行動している事に実は内心ホッとしているのだから、自分は結構彼に甘いのだろう。サイだって口ではこう言っているが、本心では同じように思っているに違いない。大変だった、その言葉が当てはまるのはキラだけでなく、辛かった、その言葉が当てはまるのもキラだけでなく。こうして一つの場所で集団生活をしているからには、彼だけ特別扱いをする訳にはいかないけれど、何となく、キラが元気だと安心するのだ。








 そもそも何故こんな会話―掃除当番がどうとかこうとか―を交わしているのか。
 それはいわゆる上の事情というもので、アークエンジェルの立場が曖昧なせいであった。



 地球連合とプラントとの休戦協定、その仲介をする事になったオーブ。各々のトップたる人間は、今頃その処理に追われて忙殺されている事だろう。かくいうクサナギの人間も、ああ見えて―という言い方は失礼かもしれないが―国の中心を担う人物ばかりである。まさかカガリに仕事をさせるという事態はないであろうが、まがりなりにも“アスハ”を名乗る娘を野放しには出来まい。
 比べて、ミリアリア達が乗っているアークエンジェルは、いくら最新鋭艦であろうと“不沈艦”と名を馳せようと、ただの戦艦である。しかも、提督クラスの将校が指揮していたのではなく、元少佐程度の士官が指揮していた、だ。故に協定自体にはあまり関係はなかったのだが――この艦には、また別の問題があった。オーブに亡命したとして脱走兵扱いをされている自分達であったが、地球連合側が今更になって戻ってきて欲しいと言い出したのだ。
 今回の戦争で大きな痛手を負った地球連合は、ひとまず混乱する自軍を纏める為に、アークエンジェルに白羽の矢をたてたのだ。脱走の罪は帳消しにしよう、だから連合に帰れ。それでも拒否をするというのなら乗組員の身柄はオーブに預けて良いから、せめて戦艦だけは返せ、と。
 しかし、オーブだって譲らない。アークエンジェルはオーブのものだと主張する。
 結果、所属先が決まらなければ寄港先も乗組員の行方も決まらず。決まらないから誰も艦から降りられない。まさにアークエンジェルの乗組員は、その戦艦の中で軟禁状態になっていたのだ。
 かといって、戦時中でない現在、下っ端乗組員の仕事といえば、料理洗濯掃除などの雑務しかないのも実状で、艦橋勤務であったサイやミリアリアが、掃除だなんだと言っている背景は、単にそれだけの事である。


 簡単に言えば、他に何もする事がなかったから――なのだが。





「だけど、もうすぐ降りるんだって思ったら、何だかちょっと名残惜しいよな」
「分かる分かる。愛着沸くよね、やっぱり。こう…何か学校を卒業する時みたいな感じ?」

 あんな事があった、こんな事があったと昔を懐かしむ事が出来るのは今になってからこそ。
 始まりはヘリオポリスだった。それから艦の仕事を手伝うようになって、アルテミスで軍の内情をほんの少しだけ知った。デブリベルトで改めて戦争の非道さを目にして、そこでラクスに初めて会った。
 言い出したらきりがない。学校で一年過ごすよりも濃い一年を過ごした。出来事を順に追っていく内に話はオーブに入港した辺りの話になって、そこでミリアリアは口を噤んだ。
 あ、とサイが声を漏らして、気まずそうに目を泳がせる。気を遣わせてしまったな、と申し訳ない気持ちになりながらも、少しだけ有り難い。何か下手にフォローを挟まれるよりは、今、自分の口で語ってしまいたい。

 ミリアリアにとってのオーブでの思い出は、そのままトールへの想いへ直結して。


「あの時…トールを止めればよかったって、今でも思うよ」

 ミリアリアはかすかに笑みを浮かべながら、落ち着いた声色で心の内を吐きだした。
 その穏やかな表情に、サイは驚いたように目を丸くしていたようだったが、ミリアリアは構わず続きを口にする。ギュッと無意識に握りしめたのは、やはり胸元の“証”であった。

「トールが生きてたら、どうなってただろう…とか。トールはお調子者だから、きっとアスランやディアッカとも上手くやっていけただろうな、そんな風に過ごせたら楽しかったんだろうな。そう、考えた事もある」
「…ミリィ」
「だけどね、サイ」

 目を瞑れば、思い浮かべれない訳じゃない。
 例えば、キラとアスランの二人をからかう姿とか。ディアッカと一緒に馬鹿な事をしている姿とか。思い浮かべれない訳じゃない。思い浮かべなかった訳じゃない。

 だけど――だけども。

「何か…上手く言えないけど、その夢の中にいる私は、きっと今の私じゃないんだろうなって…最近になって、やっと気付いた」

 ミリアリアの言葉に耳を傾けていたサイが、キュッと唇を噛みしめる。それからしばらく黙り込んだ彼は、小さな吐息と共にゆっくりと瞼を下ろした。

「…何となく、分からなくもないよ」

 そうして、彼は小さく笑みを浮かべて。

「俺も考えた。フレイが生きてて、一緒に買い物に行ったりとか…復学して、またトール達と馬鹿な事したりとか」
「…うん」
「だけど、やっぱり今の俺じゃないんだよな。フレイが、トールが昔のままだから、今の自分と…っていうのが分からないんだよな」

 しんみりした空気を振り払いたくて、ミリアリアはプレートの上のミートボールにフォークを突き刺すと、そのまま口に放り込む。いい加減母親の料理が食べたいわよね、と溜息混じりに言えば、そうだね、と苦笑を浮かべながらサイもミリアリアに倣って料理を口に運んだ。

「サイはこれからどうするの?」
「…これから?」
「オーブ本土に戻るんでしょ?まさか、軍に戻る…とかは言わないよね?」
「言う訳ないだろ。ちゃんとオーブに戻るよ。ミリィも戻るんだろ?」
「当たり前じゃない。学校だって、まだ中途半端なままだし…」
「そういえばそうだな。卒業は一応しておきたいよな」
「でしょ?」

 そこまで言葉を交わして。2人は揃って閉口した。多分、考えている事は同じだ。同じだから、どちらが切り出すのか互いに互いを探っている。
 しばらくの間沈黙が続き、やがてサイが観念したように小さく息を吐いた。キラはどうするのかな。ぽつりと呟かれた言葉に、ミリアリアは、どうするんだろうね、と答えにならない返答しか出来なかった。

「プラントに行くのかな?」
「…さぁ、どうだろう。でも行けるのかな?」
「行けない可能性だってあるか…地球軍だったもんな、キラ」
「うん…まぁそれは私達もなんだけど」


 だけどラクスはプラントに帰る。


 本当はそう言いたかったけれど、言えなかった。キラがラクスを恋い慕っているのは誰の目にも明らかで、ラクスもキラを恋い慕っているのは明らかだったけれど、好きだから、一緒に居たいから、そう想うだけで済まされる程簡単な問題ではなかったし、キラもラクスも大人ではなかった。
 地球軍だったと、サイが言った。確かにその経歴は、キラがプラントで過ごすとするならば最大の障害となるだろう。
 それにキラには家族があった。父と母が、オーブで帰りを待っている。彼はそれを見捨ててしまうような、薄情な人間ではない。

 第一、ラクスが望まないだろう。

 キラが今までの生活を捨ててまでプラントに来る事を、多分彼女は望まない。彼女はキラにはオーブに戻って欲しいと、そう願っているに違いない。
 直接その想いを聞いた訳ではないけれど、何となく分かる。だって、そうでもないと彼女の下した決断は無意味になってしまうから。


 プラントに帰る事を望んだ、彼女の決断が。


 ラクスだけではなかった。エターナルの乗員は――プラント出身の者は全員同じだ。アスランもディアッカもバルトフェルドもダコスタも、会話を交わした事のない元ザフトの軍人も、皆そのまま故郷に帰る道を選んだ。
 彼等は成した事はどうであれ、故国で裁判にかけられるらしい。国の事は詳しくは分からないが、やっている事は確かに犯罪だった。結果よければ全てよし、という訳にはいかないだろう。不条理だとは思うが納得は出来る。
 それでも議長代行のアイリーン・カナーバはクライン派の議員であったし、ラクスが望めば見逃してもらう事も出来たのだ。プラントに帰る事は叶わなくても、罪を被る事なく過ごしていく事も出来たのだ。平和に、健やかに。これからの事は何も考えず、のんびりと自由に。
 だけども彼女達はそれを良しとはしなかった。罪は罪だと認め、裁かれるべき身だと覚悟した。特別などあってはならないと。何故なら自分達は、他の人達と変わらぬプラントの国民であるからと。
 結果、エターナルはザフトの預かりとなり、彼等は身柄を拘束された。ミリアリア達アークエンジェルの人間はその瞬間を見た訳ではなかったから、それは人伝の噂ではあったけれど。さすがに情状酌量の余地があるとして、それなりに減刑はしてもらえるらしいが、それも真偽の程は分からない。
 何とかしたいんだが、とカガリが頭を抱えているのは知っていたが、こればかりは彼女の力ではどうにもならないだろう。彼女がそうであるのだから、ミリアリアには尚更打つ手がある筈もない。出来る事はと言えば、無事を祈る事くらいだ。


 兎に角、そうまでして自分のけじめをつけようとする人だ。
 恋情に甘える事も甘えて貰う事も、きっと己に許さない。


「もう会えないままなのかなぁ」

 サイが呟く。誰に、などと問うまでもない。エターナルの人間に、だ。
 彼等がザフトの預かりになったのは、本当に停戦してからすぐの事だ。一度も会う暇などなかった。会う機会など貰えなかった。その時はアークエンジェルもクサナギもまだごたごたしていたし、ザフトも厄介事を野放しにはしたくなかったのだろう。
 ザフトに戻ったのは彼等の望む所であったから、別に構わないと思うし仕方もないと思う。
 けれどせめて一目だけでもと、そんな些細な願いすら叶えてもらえないのは、少し――いや、かなり寂しい。共に無事を喜ぶぐらいはさせて欲しかったと、そう思うのは贅沢なのだろうか。


 それに。
 返す、と約束したのに。


 返せないまま、遠い場所に行ってしまうのだろうか。


 言いたい事は沢山あった。何でもいい、言葉を交わせる喜びを噛み締めたかった。
 何より「ありがとう」と伝えたかったのに。

「一度くらいは、会いたいよね…」

 ミリアリアの言葉に、サイが僅かに瞠目して、それから気遣うように「ミリィ」と小さく名を呼んだ。ディアッカには気付かれていた想いをサイが気付いているとは思わないが、何となく察する所はあったのだろう。
 そうだね、とサイは頷いた。それだけで追求しようとはしない彼の優しさ有難い。

「言いたい事とか、沢山あるのにな」
「うん。多分、向こうもそう思ってくれてるんじゃないかな」
「かな?だといいな…。そういえばね、ディアッカが、皆でプラントのケーキ屋さんに行こうって言ってたのよ。安くて美味しいんだって。行けるといいよね」
「へぇ、ケーキ…キラが喜びそうだな、それ」
「でしょ?ディアッカも言ってた。キラは甘いもの好きそうだしって」
「じゃあ俺達はオーブで美味しい店案内してやらないとな。向こうがケーキだから、こっちは甘味処にでもしとく?」
「あはは、それいいね」

 ラクスに甘味とか、何かちょっと似合わないけどね。そうミリアリアが言えば、その姿を想像したのだろうサイが確かにと同意を示す。アスランも似合わなさそうだな、でもディアッカは意外と似合いそう、と一通り想像して、兎に角良い店探しておかないとね、と結論付けた。
 そして丁度その時、食堂の入り口にひょこりとキラが顔を出して。ああ何だ2人一緒に居たんだ、と僅かに目を丸くした彼は、

「何か盛り上がってたね。何の話してたの?」
「え?ああ、オーブに帰ったら皆で美味しい物食べに行きたいな〜って話」
「ケーキとかお菓子とか、戦艦の中じゃあんまり食べられないじゃない?だから、ね」
「あ〜成る程…」

 頷いて、ここ座っていい?とサイの隣に腰掛けた。何をしていたのかは知らないが、疲れた、と机にへたばるキラに、そういえば、とサイがジトリと視線を向ける。

「キラ、掃除」
「え?あ、ああ…えっと、あれ?僕が当番だっけ?ごめん、忘れてた」
「……キラ」
「………嘘です。サボりましたごめんなさい」
「まぁいいけど。その代わり、トイレ掃除な」
「えぇ〜…」

 停戦してからこちら、こんな2人の遣り取りは何回か見ていたけれど、やはりずっとエターナルに乗艦していたキラがここに居るのには何となく違和感がある。そもそもキラは最初はこの艦に乗っていたのだから、違和感も何も本当はない筈なのだけれど。よほどアスランの、それからラクスの傍に居る彼が自然だったんだなぁと、ミリアリアはぼんやり思った。

「ああ、そういえば忘れてた。2人に伝える事があって、ここに来たんだよね」
「伝える事?」
「私達に?」
「て言っても、後から知らされると思うんだけど。先に小耳に挟んだから、せっかくだしと思って」

 むくり、と上体を起こしたキラは、何事だと首を傾げる2人の顔を交互に見遣り。
 フリーダムに乗るようになってからよく見るようになった穏やかな微笑を、その顔に浮かべてみせた。

「後で軍の方から正式に除隊許可証が渡されるみたいだよ。これで本当に脱走の件は帳消し、希望者はそのまま月経由でオーブに降下。アークエンジェルとはさよならだ…って」


 つまり、それは――驚きを露にする2人にキラは更に言葉を続ける。


「うん、やっぱり地球軍に返されるみたい。だけど、僕はそうあるべきだと思うし、やっぱりオーブのものになるのは何かおかしいと思うから、これでいいんじゃないかなって、思ってる」






 戦争が、終わった。

 それに合わせて、それぞれの道へと進み始めて。




 それを寂しいと思うのは――戦争が終わって寂しいと思うのは、不謹慎だとは分かってはいるけれど。




 そっか、と呟いた自分の声が、何となく空虚なものに感じられたのは、気のせいだったのだろうか。













状況説明の回。
何かこいつらフレイやフラガに対して落ち込んでねぇなぁとは思ったんですけど、いれる所なかった。ごめんよお二人さん…(´・ω・`)
というか、もし入れてたとしたらキラはマックスで鬱状態、サイも大概鬱状態、出てきてないけどマリューさんも鬱状態で、誰が話に絡んでくれるの、と。ミリアリア一人で悶々と進めるには限界を感じる…。

ちなみに、エターナル勢がザフトに帰ったっていうのは完璧私の趣味な展開です。これは最初に書き始めた時から絶対に譲れないポイントでした。
ミリアリア達に一回も会わないまま、というのは展開上の都合でもありますが、実質、あの状況でこいつらだけ互いに喜び合うような暇なんてないんじゃないかと思ったんで。
カナーバ議長代行は即行でラクスとコンタクトをとるでしょうし、うちのラクスはそれにはきちんと応じる人だし、カガリは一応オーブの要人だし…余裕ありそうなのは、AA組だけで。
つまり、最終回でルージュはエターナルに着艦して、キラだけAAに戻った感じで……というか、後書きまで説明くさくてすみません…(汗)


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