もう二度と君を泣かせないよ、と


 そう言う事は出来ないけれど






《胡蝶ノ夢》

30:言うべきことは






「あ〜あ…イザークの奴思い切り殴ってくれちゃって、痣になったらどうしてくれんだっつーの。…アスランお前、痛くねぇの?」
「いや、痛いには痛いけど…」
「お前なぁ…んな平気そうな顔してたら後でもう一発殴られるぞ」
「えぇ?そんな事言われても…」

 ディアッカと、二人。他愛もない軽口を交わし合う。それくらいしかする事がなかったし、出来なかった。
 数多くあるザフト所属艦の内の一つ、その独房にて。ひとまずプラントに戻るまでは適当な艦に留置される事になったエターナルの乗員は、とりあえずまとめてそこに放り込まれていたのだが。普通は一箇所につき一人だろうところが、何故か二人一緒だったのは、幸いだったのか不幸だったのか。
 ちらりと辺りを見渡せば、そんな状況になっているのは何も自分達だけではない。恐らく収容人数に対して、ここにいる人間の数が多すぎるのだろう。それはそうだ、戦艦一つ―しかも最新鋭艦を、だ―を動かせるだけの人員が揃っているのだ。少ない訳がない。
 ただし、その中でも艦長と指揮官を務めたラクスとバルトフェルドは別の場所に拘束されたのだろう、その姿はなかったが。
 それにしても自分がこうしてディアッカと同じ所に容れられたのは、単なる偶然なのか、それとも同じパイロットだからか、或いは元同僚という事に気を遣ってくれたからか。どうでもいい事ではあったが、ちらりと疑問に思う。

「だけどさぁ、イザークっていえば、ラクス嬢にああ言われた時の顔はちょっと見物だったな」
「え?…ああ、“殴ってください”って言われた時の」
「そうそう、“ザフトを離反した事で殴られるなら、私も殴られなければおかしいですわ。さ、どうぞ”なんて…可哀相なくらい真っ青だったじゃん、あいつ」

 可哀相、と言いつつもディアッカの顔は楽しそうである。
 でもまぁ、あれは確かに色んな意味で凄かった。可哀相ではあったけれど、確かに面白くもあった。恐らく彼にとっては忘れ去りたい出来事なんだろうなぁと、アスランもその時の事を思い出して、思わず笑みを漏らしてしまった。





 それは数時間前まで遡る。

 ジェネシスでジャスティスを自爆させた後、カガリのストライクルージュはその狭いコックピットにアスランとキラを乗せ、アークエンジェルではなくエターナルに着艦した。どうなったのかいち早く状況を確認したかったアスランは、そのまま真っ直ぐに艦橋に向かい、ラクスが既にプラント側との交渉を終えた事を知った。
 このまますぐにでもザフトに戻る事が出来ますけど、アスランはどうしますか。答えなど分かりきっているくせにそう問うてきた彼女に、アスランは苦笑で返した。慌てたのはキラとカガリで、もうすぐゆっくり出来ないのかと訴えていたが、首を横に振ったのはラクスだ。こちらの都合で物事がすべて運ぶとは限らない、そう言いながら。
 そうして、すぐにでもザフトの方が来ますからとキラとカガリをそれぞれアークエンジェルとクサナギに送り返すと同時に、アークエンジェルからディアッカを呼びつけて―― 兎にも角にも、ザフトがこちらに迎えを寄越すというのだから、皆でそれを大人しく待っていたのだが。


 エターナルの乗組員がずらりと居並ぶ中、真っ先にやってきたのがイザークだった。ディアッカはアークエンジェルの格納庫で対峙したばかりらしいが、アスランにとっては何だか懐かしい顔だった。気まずさよりも先に、変わらない彼に嬉しくなった。
 そして、ああ彼が迎えなのか、とその場に居た誰もが思った事だろう。アスランとディアッカの同僚で、紅を纏うトップガンで、多分ラクスにも好意的で、高圧的な態度ではあるが何だかんだで曲がった事が嫌いな性格。そう並べ立てれば、まぁ妥当な人選かなと思わなくもない。
 ずんずんと歩み寄ってくるイザーク。クルーの先頭に立つラクスとバルトフェルド。彼等の距離が向かい合うのに丁度良い所まで縮まった所で――しかし彼は皆の予想を反して歩みを止めなかった。え、と目を丸くする一同など眼中にもないと言わんばかりの彼は、そのままアスランとディアッカの正面まで来るとようやく立ち止まった。
 彼は何とも言えない表情を浮かべていた。
 たまらず、ディアッカが「イザーク」と彼の名を呼びかける。ぴくり、と肩を揺らした彼は、キッと鋭くディアッカを睨みつけ――何を言うでもなく、力の限り殴り飛ばした。
 ギョッとしたのはアスランだけではない。誰もが目を丸くした。おいイザーク、と慌てて止めに入れば、

「お前もだアスラァァンッ!」

 何故か自分も殴られた。訳が分からない。
 ぶたれた頬を押さえながら唖然として彼を見つめれば、秀麗な眉を吊り上げて、いかにも怒ってるんです、そんなオーラをまき散らしながら、彼はアスランとディアッカを交互に見比べると声を大にしてのたまった。

「ザフトを離反しておきながら戻ってくるとはどういう了見だ!?」
「「………は?」」

 アスランとディアッカは思わず顔を見合わせた。つまり――何だ、彼はザフトを離反したのを怒っているのではなく―それは今更な気もするし―、要するに。

「え、と…それはザフトに戻って来て欲しくなかったって事?」
「違ぁぁう!馬鹿か貴様!そうじゃない!そうじゃなくてだな!」

 そこまで叫んで、ようやく己が注目を集めている事に気付いたらしい。
 気を取り直すようにゴホンと小さく咳払いをした彼は、僅かに頬を朱に染めながら、俺が言いたいのはだな、と幾分か声のトーンを落として言った。

「ザフトを離反したお前等が帰って来た所で、待っているのは厳罰しかないだろうが。それでも戻るつもりだったんなら、ならばなぜ最初からザフトの中で行動を起こさなかった?俺はてっきり、お前等はもうプラントに戻って来るつもりはないんだとばかり思って…し…しん…」
「…心配してくれた?」

 何故か口籠もったイザークの言葉尻をさらって、ディアッカが首を傾げる。それを聞いたイザークがカァッと顔に血を上らせたが、否定するかと思われた返答は、逆にそれを肯定するものであった。

「そっ…そうだ悪いか!心配したんだ!クソッ…言うんじゃなかった!貴様もう一発殴らせろ!」
「えぇ!?何で!?何でそうなるの!?さっき殴ったじゃん!」
「五月蝿い!あれはお前等がザフトを離反した時の分だ!次は俺に心配かけた分!それから次は、お帰りの挨拶を兼ねて、だ!」
「最後の意味分かんねーよ!何でそれで殴るの!?つーか何だよお帰りって!お前が言うとキモいよ!」
「拳と拳で語り合うのが友情だろう!?本にそう書いてあった!大体、気持ち悪いって何だ!失礼な!」
「本当の事だろ!てかお前一体何読んだの!?…ああもうアスラン!傍観してないでコイツ止めろよ!」
「え?あ、俺!?」
「安心しろアスラン!ディアッカの次は貴様も殴ってやるからな!邪魔をするな!」
「えぇ!?」

 何かもう、駄目だ。せっかく大人しくなり始めたのに。
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人をどうすればいいのか分からずに途方にくれたアスランは、思わず近くにいたダコスタに助けを求めるように視線を向けた。だがすぐに逃げるように顔を背けられる。ならば一応昔は上官だったからとバルトフェルドに向ければ、頑張れとばかりに笑みを向けられるだけだった。あれは絶対面白がっている。
 仕方ない、とアスランは溜息を漏らした。とりあえず止めよう、イザークを。そう思って、アスランは彼に向かって手を伸ばした。おいイザークいい加減に、そうをかけようと口を開く。
 だがしかし、アスランの手が届く前に、アスランの声が発せられる前に、彼に近付く人影があった。
 ふわりと長い髪を靡かせて、天使のような笑みを浮かべながら、その人は鈴の音のような可憐な声で、彼の人の名前を呼んだ。

「イザーク様」

 ぴたり、とイザークが動きを止める。ゆっくりと振り返った彼の目に、彼女がどう写ったのかは知らないが。

「でしたら私も殴ってくださいな」

 鬼だ、とアスランは思った。可愛い顔をした鬼がここにいる。
 ピシリと固まったイザークをよそにニコニコと微笑む彼女がこねるだろう屁理屈を思い、アスランはそっと心の内で合掌した。

「え、あ、ラ、ラクス嬢…?何を…」
「だって、イザーク様がお二人を殴らるのは、ザフトを離反したから、イザーク様が心配されたから、そしてお帰りなさいの挨拶代わり…でしょう?でしたら私も二発は殴られませんと、おかしいですわ…まぁ私としましては、イザーク様にご心配して頂けてたなら嬉しいなという事で、三発でもいっこうに構わないですけど」
「な…な…」
「さ、ほらどうぞ、ご遠慮なく!私はディアッカ様とは違って拒みませんから!」

 さぁ殴れ、と言わんばかりに頬を差し出すラクスに対して、イザークはあからさまに狼狽した。
 無理です止めてください、必死に首を左右に振る彼に、しかしラクスは不満そうに眉を寄せる。殴ってくれませんの、と唇を尖らせて尋ねる彼女に、イザークは哀れな程に顔を青褪めさせ、言い訳を探すように視線を泳がせた。

「えっと、あの、これは…その、ですが女性に手をあげる訳には…!」
「あら?でもそれは友情の証なのでしょう?でしたら私もアスランやディアッカ様のように、イザーク様と友情を交わし合いたいですわ」
「それは…」
「女性だから殴れない、なんて言い訳じゃないですか。それともイザーク様は私と友情は交わしてはくれませんの?」
「…っ!」

 悲しそうに目を伏せるラクス。息を呑むイザーク。固唾を飲んで見守るその他大勢の人々。
 頑張れイザーク。アスランは密かにエールを送る。
 負けるなイザーク。きっとその場にいた誰もが思う。
 けれどもそんな期待を裏切って、イザークは「失礼します!」と大声で叫んだ後、脱兎のごとく走り去って――取り残されたエターナルの人間は、皆一様にしてぽかんと口を開けていた。あいつ結局何しに来たの、と呆然と呟いたディアッカの言葉が虚しく響く。迎えだったんじゃないかな、多分、本当は、一応。アスランはそう答えたけれど、いまいち自信を持っては言えなかった。

「殴ってくれませんでしたわ、イザーク様…」
「本気だったんですか、ラクス」



 その後、新たな迎えが来てくれるまで、誰一人として動けなかったという――。







 回想終了。







「でも正直安心したかな。イザークがイザークのまんまで」
「ああ、うん、それは俺も安心した」

 フッと頬を緩めたディアッカに、アスランも素直に同意を示す。何て事ないような口調を装ってはいるけれど、きっと自分なんかより余程嬉しかったに違いない。ディアッカはイザークと親しかったのだから。
 なぁアスラン。そうディアッカが呼びかけるのに、アスランは「何だ」と小さく首を傾げた。こんな風に彼とゆっくり語り合うのも、何だか新鮮だった。

「お前、俺に言ったじゃん。イザークを撃たないってお前に誓えって」
「…ああ、言ったな」
「俺、撃たなかったぜ、アイツの事。別にお前のおかげって訳じゃないけどさ、なんか…まぁ、後押しにはなってくれたっていうか、兎に角…」
「うん?」
「サンキュ、な」
「…どういたしまして」

 お礼を言われる程の事じゃない。だってあれは、思った事をそのまま言っただけなのだ。
 それでも気恥ずかしくて、アスランはディアッカから視線をそらした。もしかしたら頬も赤くなっていたかもしれない。独房の薄暗さで上手く誤魔化せていればいいのだが、そればかりは自分では分からなかった。

「なぁアスラン」
「今度は何だよ」
「…いや、お前何で怒ってんの?」
「怒ってないって。で、何」
「怒ってんじゃん…まぁいいけど。あのさ、話変わるけど」

 怒ってるんじゃない、照れてるんだ。とはさすがに言えないアスランは、目線で続きを促した。
 話の内容は何となくだが予想出来た。今の自分達が話す事といえば限られている。ふとアスランの脳裏に過ぎったのは、親友の姿。それから彼の友人だという少年、元地球軍の人達、名前しか知らない地球軍だった人達、そして――約束を交わした彼女。

「お前、甘いもんとかって好きだっけ?」
「え?甘いもの?」

 ディアッカの唐突な問いに、アスランはきょとんと目を丸くした。

「甘いものって…ケーキとかチョコとか?」
「そう、その甘いもん。もしかして嫌いか?」
「や、別に嫌いじゃないけど…でも何で?」
「ん?あぁ、うん、大した事じゃないんだけど」

 そんな話をしたんだ、とディアッカが言った。
 最後の出撃前に彼女と。プラントに安くて美味しい店があるから皆で行きたいと、行けたらいいなと、そんな話をしたのだと。
 こんな状況じゃさすがに無理かもしれないけどな、そう言って頬を掻きながら苦笑を浮かべるディアッカに、アスランもフッと目元を緩めた。そうだな、と小さな、けれどもしっかりとした声で相槌を打つ。

「無理かもしれないけど、叶うなら。キラもラクスも甘いものは好きだし、きっと喜ぶ」
「甘いもの好きっつーか、アイツ等自体がもう砂糖菓子みたいなもんじゃね?」
「それは確かに、否定出来ないかもな」
「しろよ、元婚約者」

 プッ、とディアッカが声をたてて笑った。言い出したのはそっちだろ、と不快を装って見やれば―あくまで装って、だ。本気で不快な訳ではない―、ごめんごめんと軽い謝罪が返ってくる。

「案内して貰えって、言ったんだ」
「…え?」
「プラントにもいい所は沢山あるから…アスラン、お前に案内して貰えって、ミリィに」

 そうして、ディアッカは僅かに声色を変えてアスランにそう告げた。
 苦笑を浮かべていたその顔には淡い笑みが、愉悦を湛えていた瞳には真剣な色が。そんな風に見つめられて、アスランはつられるように表情を消した。
 ディアッカ、とか細い声で、思わず名前を呟いて。
 お前さ、と躊躇いがちに続けられた言葉に、うん、と短く返す事で先を促した。

「アイツの事…好き、だよな?」

 口調こそ問いかけるようなものであったけれど、そこには疑問の色などない。代わりに確信的な響きがあった。

「…ああ」

 もしその時のディアッカがからかいうつもりで言ったのだとしたら、アスランははぐらかすなりなんなりで、素直に答えはしなかっただろう。
 だけどもディアッカはそんなつもりで問うたのではない。それは声からも表情からも、明らかな事で、だからアスランも迷いなく頷いた。むしろ自分でも驚く程に、肯定の言葉はするりと発せられた。

「多分、な…」

 それでも“多分”と曖昧な言葉を添えたのは、彼に対するほんのささやかな抵抗で。

「多分、ね」

 まぁそういう事にしといてやるよ、とディアッカは苦笑を浮かべる。
 その抵抗の言葉を彼はどう受け止めたのかはアスランには図りかねるが、納得はして貰えたらしい。

「…俺もさ、多分アイツの事、好きだった」

 そうして。その苦笑のまま続けられたディアッカの言葉に、アスランはどう言葉を返せば良いのか分からずに、小さく息を呑んだ。
 瞠目して、ディアッカの表情を見つめる。彼がどういう意図でその言葉を放ったのか、少なくとも敵意があっての言葉ではないという事だけは分かったが。
 そのまましばしの間、2人は無言で見つめあった。時間にすると、ほんの数秒だ。その妙な沈黙を破ったのはアスランの方で、先に視線をそらしたのもアスランの方だった。

「…何となく、そうかな、とは思ってた」
「へぇ、鈍感なアスランにしては察しがいいじゃん?」
「鈍感って…いや、否定はしないけど」
「ああ、ちゃんと自覚はあるんだ?ま、別にアンタの邪魔がしたい訳じゃないからさ…むしろ応援してんだから、身構えずに聞いてよ」

 言って、ディアッカはひょいと肩をすくめた。そこには、ともすれば重くなりがちな空気を軽くしようとする彼なりの遣いが見えて、アスランもつられるように頬を緩めた。むしろそこで表情を強張らせては、余計にディアッカに気を遣わせるだろう事は、容易に想像出来た。

「何ていうかさ、自分でもよく分かんねぇんだけど…俺自身、アイツとどうこうなりたいっていうよりも先に、アイツには普通に笑って欲しいなぁっていうのがあって。そうしてやれるのが自分じゃないっていうのは確かにちょっとさ、悔しいけど」

 その気持ちは、アスラン自身なんとなく分かるような気がした――というよりも、覚えがある。
 ラクスだ。自分がラクスに対して抱いている感情と、一緒とは言わずとも、遠からず似ている。
 彼女の事は好きで、幸せになって欲しくて、それが自分の手で出来ない事を寂しく思えど、それよりも彼女を想い、彼女に想われる存在が居る事の方が大切で。

「だからさ、アスラン…せめてアイツを…」


 泣かせるな、悲しませるな。続く言葉はどちらだろうか。



 アスランは僅かに身構えた。どちらかを問われたとして、自分は果たして素直に頷けるだろうか。頷いていいのだろうか。それだけの事なのに、今の自分には分からなかった。




 泣かせたくはない、悲しませたくはない。


 だけども、上辺だけの言葉を吐く方が、余程彼女を傷付けるような気がした。













状況説明の回、その2。 イザークのツンデレ書くのが楽しかった(笑)
前回アークエンジェル組の扱いを書いたので、こちらもエターナル組がプラントでどういった扱いになったのかを書こうと思ったのですが…長くなりそうなので切りました。

前回にも書きましたが、この時点でアスラン達は、ミリアリア達とは一目も会わずしてザフトに戻る事になっている、という設定です。
そんなアスランに「悲しませない」「泣かせない」という資格は、まだないんじゃないでしょうか。

どうでもいいですが、これ書いてる時のBGMが「愛・おぼえていますか」(byマクロス劇場版)でした。ラクスもミンメイみたいに最後まで歌姫だったらなぁと、しょっぱい気持ちになりながら…!


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