《胡蝶ノ夢》

31(sideM):交わされた約束は






「ミリアリア!こっちこっち〜!」
「ごめんっ!待った?」
「ううん、大丈夫。ミーナもさっき来たとこだしね、そんなに急がなくてもよかったのに」
「そうそう、そのくらいで誰も怒らないって」
「うぅん…でもやっぱり一応、ね」

 見上げれば青い空が広がり、暖かな陽気が降り注ぐ、そんな穏やかな午後の事。
 オープンカフェの一角で手を振る友人に、ミリアリアは肩に提げた鞄がずり落ちないように気を付けながら、パタパタと軽快な足音を響かせながら駆け寄った。
 お疲れさま、そう労いの言葉をかけてくれる友に有り難うと礼を述べ、空いている席に腰を下ろす。気を利かせた友人が買ってくれていたアイスティーを一口含むと、思わずほっと息が漏れた。

「今日だったっけ?レポートの提出」
「そうなの!それなのにさ、教授ったら別の頼み事してくるんだもん。終わらないって、ホント」
「あはは、ミリィは信頼されてるもんねぇ。ご愁傷様!」
「何それ、他人事だと思ってぇ…」



 停戦協定が結ばれてから、およそ一年――世界は変わったようでいて、実は大して変わっていなかった。
 プラントと地球連合は相変わらず仲が良いとは言えなかったし、オーブも相変わらず中立の理念を掲げて閉鎖的だ。他の地域も似たようなものだろう。開戦前と終戦後で、地図上においての大きな変化はあまりない。
 多分、大半の人にとってもそうなのだろう。目の前にいる友人だって、連合軍がオーブに攻めて来た時には多少なりともいざこざに巻き込まれただろうに、何故人は争うのか、などとは今や―もしかすると当時も―考えてはいないだろう。自分の周りが平穏無事ならば、ひとまずそれでいいのだ。
 だけども、それは別におかしい事ではない。誰もが皆、何か出来る事をと戦う必要は、多分ない。もちろん、無関心であるのがいい事だと言うつもりはない。ただ、出来ない事を無理にする事はないのだし、彼等のような人が例えば何かを作り、管理し、生活を支え経済を支え、国を支えていく。この世界は軍人だけで構成されているのではなく、沢山の人が様々な事をする事で、それが上手く絡み合って進んでいくものなのだ。



 それに、確かに世界は変わっていないけれど、それでも何も残さなかった訳ではない。



 カガリは亡き父の跡を継ぐべく、最近になって市内の大学に入学したらしい。頭よりも体を動かす事の方が得意そうな彼女が勉強というのは想像し難いが、その程度で挫けるようではこの先やっていけないからな、と彼女は笑って言った。
 それから、多分父が亡くならなければ選ばなかった道だ、とも言っていたか。
 先の大戦を経験してカガリなりに思う所があったのだろう。もしかしたら周りに何か言われたのかもしれない。彼女の決断に、そのまま考えなしにとりあえずは政治の世界に突っ込んでいくのかと思った、キラがそう言って彼女の怒りを買ったのは記憶に新しい。


 そのキラはと言えば、サイと一緒に工業系の学校に進学した。尤も、学部が同じだけで学科は違うらしいから、厳密に言えば一緒ではない。
 サイは従軍した経験を何かに活かしたい、と言っていた。キラは最初こそ、航空機の操縦士になる、と適当な事を口にしていたが―お前の操縦する飛行機なぞ墜ちそうだから乗りたくない、とカガリが冗談なのか真面目なのか判断し難い事を言っていた―、最近になって、コロニー開拓などの宇宙開発事業に興味が出てきたらしい。


 そしてミリアリア自身はと言えば、へリオポリス時代には工業カレッジに通っていたにも関わらず、全く異なる医療系の学校に進む道を選んだ。
 最初はキラ達と同じ学校に進もうかとも思った。が、冷静に考えてみて、自分は将来そんな事がやりたいのかと思うと、それは違う気がした。アークエンジェルに残った時のように、友達もいるしな、と軽い気持ちで決めてしまって、果たして後悔しないのだろうか。
 “医療”の道は、散々悩み抜いた末での結論だ。どんな時代どんな情勢であろうと必要とされる知識と人材。戦争とはつまる所壊す行為であって、ならば今度は作る仕事、直す仕事に就きたいと思ったのだ。その思いは多分、方向性は違えどキラやサイも同じだろう。
 今まで学んできた事とは全く違う分野であったから、苦労する事も戸惑う事もあったけれど。自分で選んだ道であったから頑張れるし、やりがいだって感じていた。



 人類の、世界の未来が――そう言っていた頃に比べたらやっている事はそれぞれ小さい事なのかもしれない。だけどこれからは“出来る事をする”のではなく、“やりたい事をする”為に、皆別々の道を歩んでいく。
 アークエンジェルに乗艦していた、他の元連合軍人達の半数はカガリ達の好意でオーブに亡命したが、残りの半数は連合軍に戻る事を選んでいる。マリューやノイマンなど、特に懇意にしていた人達は後者にあたった。誰かが連合を中から変えなければいけない、自分達に出来るか分からないけれど、頑張ってみる、と。彼等は結局、一階級降格処分を受けたようだが、脱走しておいてそれだけで済んだんだから儲けものだ、と朗らかに言っていた。
 オーブで別れたカズイにも会った。再会の第一声がアークエンジェルを降りた事に対する謝罪だったものだから、ミリアリアもキラもサイも、思わず互いに顔を見合わせて笑ってしまったのは良い思い出だ。



 ただ、プラントに戻ったエターナルの人達がどうしているのか――彼等の現状だけが分からない。
 ラクスが、アスランが、例えプラントでは知らぬ人間がいない程有名であったとしても、ミリアリアが今いるのはオーブである。初めてラクスに会った時、アークエンジェルにいた者ほぼ全員が彼女の事を知らなかったように、彼等はオーブではさほど注目されていなかったりする。つまり、逐一報道などされやしないし、それに対する不平不満などありやしない。
 ましてや、彼等は祖国では罪を犯している立場にある。プラント側からしてみれば、彼等の罪状も処分も、あまり世間には知られたくないのだろう。調べようにも規制がしかれているのか、欲しい情報は得られはしなかった。



 もしかして銃殺刑などではないのか、と考えた事もある。それはさすがにないだろうと皆は言うが―彼等を死刑にしては些か外聞が悪すぎる、と―、可能性はゼロではない。
 だけど、どちらにせよ遠く離れた自分達に出来る事はと言えば、ただ信じている事だけで。



 だって会いに来るって、約束したのだから。




 空を見上げた。決して見えはしないその先に、彼は、彼等はいるのだろうか――少しでも、こちらの事を思ってくれているのだろうか。


「…リア!ミリアリアってば!」
「…え?わ、私?」
「んもぅ!“私?”じゃないわよ!何回も呼んでるのに!」
「ご、ごめん…何?」

 友人に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。自分ではそんなつもりはなかったのだけれど、どうやら随分とぼんやりしていたらしい。
 不満げな友人に慌てて謝罪を述べ、取り繕うように用件を問う。友人はそんなミリアリアを友人はジトリとした眼差しで見やり、それから呆れたとばかりに小さく溜息を吐いた。

「何、じゃなくてさ。そもそもミリアリアが言い出したのよ。写真、見せてくれるって」
「…そうだっけ」
「そうだっけ、じゃなくて…まぁいいけど」

 とりあえず見せてよ、と催促する友人に従って、ミリアリアは鞄の中から小さな冊子を取り出すと、差し出された彼女の手に載せた。どれどれ、と興味津々にそれを開いた彼女の手元を、他の友人も一緒になって覗き込む。

「へぇ、結構良く撮れてるねぇ」
「あ、これ!ちょっとマリア見てよ!先輩映ってるよ!」
「え!?本当!?やだやだホントだ〜!ねぇミリィ、この写真のデータ頂戴〜!」
「ああ、うん。いいよ。どれ?」

 キャッキャとはしゃぐ友人達を微笑ましく思いながら、相槌を打つ。
 あれから――戦争が終わってから、ミリアリアはよく写真を撮るようになった。本格的なカメラで本格的な撮影を、とまではいかないものの、枚数だけ言えばそこそこな数になっていた。
 だから偶にこうして現像してみては―さすがに全部は無理なので選んではいるが―、こうして友人に見せている。最初は何となく気恥ずかしかったが、自分の撮ったもので喜んでくれている姿を見ると嬉しかった。
 カメラを向けてから、シャッターを押すまでの数秒の間。何気なく撮ったものにでさえ、そこには形に残したい何かがある。それは例えばいつもの街並みであったり、美しい風景であったり、友の姿であったり。
 そんな一瞬を、自分は大切に出来たらと思う。

「…あれ?」

 ふとその時、友人の一人が訝むような声をあげる。何事か、と皆が彼女に視線を向けると、当の本人は写真とミリアリアを交互に見比べた。

「どうかしたの?」
「ん?ああ、えっと、そんなに大した事じゃないんだけど…」

 そうしてその友人はミリアリアの胸元を指さすと、

「それ、いつもしてるんだね」
「え?」
「ペンダント。どの写真見てもしてるな〜って思って。まぁそれだけなんだけどさ」

 言われて、ミリアリアは思わず“それ”に手をやった。
 ええどれどれ、と他の友人も写真とミリアリアを見比べて、ああ本当ね、と同意する。その内の一人が、からかうように目を細め、にやりと口角を吊り上げた。

「もしかして彼氏に貰ったとか〜?」
「そういえばミリィとそういう話した事ないよね〜。ね、ね、どうなの?まさかマジで彼氏いたりする?」

 ミリアリアが彼女達と知り合ったのは、今の学校に進学してからの事。つまり彼女達はトールの存在を知らない。だからこそ投げかけられた揶揄の言葉に―もしトールの事を知っている相手だったなら、気まずくなるのが目に見えている―、ミリアリアは思わずカァッと頬を朱に染めた。
 慌てて違うと反論するも、自分でも怪しい態度だと思う。現に友人達からの疑いの視線は止まず、ミリアリアはさらに強い語調で否定の言葉を口にした。
 彼氏ではない。彼とは、そんな関係ではない。それに“これ”にだって、そんな艶めいた理由がある訳ではないのだ。

「ね、ね!それってアレだよね、ドッグタグっていうやつ!私もそんなの欲しいんだ〜」

 ねぇちょっと見せてよ、と隣の席から伸びてきた手を避けきれず、ひょいと軽い調子でタグを掴まれる。
 あ、と思った時は遅かった。ミリアリアは振り払うように彼女の手を退けたが、彼女が“それ”がどんなものなのかを確かめるには、その短い間で十分だったらしい。

「…ミリィ、それってもしかして…」

 彼女は書いてあった名前に気付いただろうか。その名前が何であるか気付くだろうか。
 どちらにせよ何か言われるのは間違いない。ミリアリアは苦々しい表情を浮かべた。

「描いてあるの、ザフトのマークだよね」
「……」
「ミリィ、もしかして…その彼氏って…」
「……」

 だから彼氏じゃない、と反論する余裕もなく。
 どう言い訳しようかと、必死に考えるミリアリアの耳に届いた言葉は。

「…ミリタリーオタクなの?」
「違っ………て、はぁ!?何でそうなるの!?」

 予想の斜め上をいくような友人の解釈に、ミリアリアは素っ頓狂な声をあげた。
 ミリタリーオタク?彼が?何で?そんな、トールじゃあるまいし!

「いやだってさぁ…そんなレプリカ、専門店に行かなきゃ普通売ってないんじゃないの?ていうか、わざわざ買う?」
「いや、それは…確かにそうなんだけど…ていうか、そうじゃなくて」
「よく読めなかったけど、わざわざ名前とかまで彫ってたみたいだし。凝り性なんだね〜」
「あの…凝り性とかそれ以前にね、これ…」

 本物なんだけど。言わない方がいいのだろうに、思わずそう伝えたくなって、ミリアリアは慌てて言葉を飲み込んだ。代わりに、はぁ、と盛大に溜息を漏らす。
 伝えてどうする。どんな関係だ、どう出会ったのか、色々追求されるのが関の山。面倒だ、と言うよりも、話す事で自分と彼の関係を、安易に想像などして欲しくなかった。



 仇だとか、仲間だとか、好きだとか。そう言ってしまえば簡単なのだけれど。
 それらが混ざり合った時の感情なんて、多分彼女達には分からない。そうして交わされた“約束”が自分にとってどれ程重いかなんて、きっと。



 ミリアリアが答えないからか、それとももう興味を無くしたからか、彼女達の話題はいつの間にか別のものに変わっている。その様子を静観しながら、ミリアリアはふと視線を遠くへと向けた。


 別にそこに何かがある訳ではない――いや、ない筈だった。


 驚きに目を見開いたミリアリアは、そのままガタリと席を立つ。突然の事に、友人達がピタリと会話を止めてミリアリアを見上げていたが、そんな些細な事など今はどうでもよかった。


 そこに居る筈のない人を見た。
 焦がれて止まない彼を見た。


「…ア…」

 おかしい。さっき紅茶を飲んだばかりなのに、何でこんなに喉が乾いているのだろう。
 固まったままのミリアリアの視線を追うように、友人達も同じ方向に顔を向ける。その内の一人が、その先に居る人影を指差して、あれ誰、と周りの者に問いかけていたが、当然ながら皆は揃って「さぁ?」と首を傾げていた。

「…アスラン」

 名前を、呼んだ。掠れた、小さな声で、名前を呼んだ。
 距離からして、決して相手に聞こえている筈がない。だけど――だけどそれに応えるように、苦笑を浮かべているのが、遠目にも分かったから。

「っ!アスラン!」
「ちょっ、ミリィ!?」

 友人の制止の声を振り切って、駆けだした。
 距離にして十数メートル、決して遠くはない距離であったが、緊張と興奮で心臓はすでにバクバクいっている。
 側まで行くと、久しぶり、そう言いながら向けられる、懐かしい笑み。

「なっ…なんでっ。なんでここに…?」
「キラに聞いて。一応連絡先も教えて貰ってたから、先に連絡いれようかなとも思ったんだけど…会えたら儲けものだなと思って。そしたら君の姿が見えたから。…ちなみにキラの居場所はシモンズ女史に聞いたんだけど」
「そうなんだ…て、そうじゃなくて!」

 簡単に経緯を説明するアスランに頷きかけて、慌てて首を横に振る。確かにそれも知りたい情報ではあるが、それより先に、もっと根本的な疑問があるではないか。

「なんで、オーブに…」
「ああ、うん。やっとまとまった休暇がとれたから、来れる時に来ないと、と思って」
「休暇…?アスラン、今何して…」
「ザフトにいるよ、俺もディアッカも、他の人も。詳しい事はまた後で話すから…それより」

 そこで一旦言葉を切ったアスランは、己の胸元を指さして。

「ちゃんと持っててくれたんだな、それ」
「え?あ…」

 何の事を言っているのかなど、言われなくとも分かる。ミリアリアは恥ずかしくなって、僅かに顔を俯けた。

「だって、約束したじゃない、返すって…持ってないと、いつ返せるか分かんないでしょ?」

 本当はそれだけが理由ではないけれど。アスランのものだから身に付けていたかっただなどと、口が裂けても言えないけれど。
 さすがにそんなミリアリアの内心の言葉までは分からなかったアスランは、うんそうだな、と当たり前に頷いた。

「それで、俺が君に会いに行くって。だから会いに来たよ、ミリィ」
「…うん。約束、守ってくれたね。だから私も、約束守るよ」

 やっと返せると思うと嬉しい反面、慣れた感触が無くなると思うと少しだけ寂しい。
 そんな複雑な心地のまま、ミリアリアは首からタグを外して、アスランに差し出した。アスランはそれを受け取ると、確かめるようにそれをギュッと握りしめる。
 この一瞬を、どれだけ夢見た事だろう。感慨深いというのは恐らくこういう瞬間の事を言うのだろうと、ミリアリアは思った。

「…そういえば、ごめん。友達と一緒だったんだよな…邪魔したかな」
「え?あ…」

 そういえば、そうだ。すっかり忘れていたけれど。
 彼女達を放っておく訳にはいかないが、だけども彼女達の元に行ったらアスランの側を離れなければいけない。
 どちらを選ぶべきか、ミリアリアは困惑しながらも友人達の方へと振り返った。そんな彼女に、いいよ行っておいで、とアスランが声をかける。一度ホテルに戻るから時間が出来たら連絡して、そう言って連絡先を渡して去ろうとするアスランを、ミリアリアは慌ててその場に引き留めた。

「ちょ、ちょっと待って!すぐ戻ってくるから!ここで待ってて!」
「え?あ、ああ…分かった」

 アスランが頷くのを確認したミリアリアは、すぐさま身を翻して、友人達の元へと駆け戻った。
 呆気にとられている彼女達に、ごめんと短く謝罪を述べる。彼女達とアスランを天秤にかけた結果どちらに傾くのかなどと、今のミリアリアには一目瞭然の事だった。
 急用が出来たから抜けるね、とまくし立てるように告げて鞄を手にして再び駆け出そうとしたミリアリアに、ちょっと、と呼び止める声が向けられる。本当は無視でもして早くアスランの所に行きたかったけれど、とりあえず立ち止まって、何、と問い返す。

「あの人、誰なの?さっき話に出た彼氏?」

 当然の質問だ。そう聞かれるだろうな、とは思っていた。
 ミリアリアはそれに答えるべく、ゆっくりと口を開く。彼氏じゃなくてね――言いながら、微笑を浮かべて。





「そうなってくれたらいいなって、思ってる人よ」













ここでは敢えて何も書かないでおきます。


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